私たちの日本に深刻な影響をもたらした、3.11の未曾有の災害から2カ月が経つ。全世界、日本全国、広島大学内も含め、これほど復興支援のムーブメントが大きな波となって拡がることは、過去になかったのではないだろうか。それだけ、この復興と人々の精神的ダメージの回復には膨大な時間を要するだろうことが、その裏側にはある。
東北の知人や、現地に入った人の思いを聞くと、ある共通したことが含まれていることに気付いた。それは、これだけ甚大な被害を受け、身も心も大きな疲労に包まれているたくさんの人がいる中で、しかし、圧倒的大多数の人は、震災の前も後も変わらぬ生活を続けているという事実であり、被災した土地からそうでない土地へ移動したときに、その世界の違いに驚くというものだ。あるいは、被災地の中でも瓦礫のすぐそばには坦々とした人々の日常の営みがそこに在り、外から入った者はその光景の中にある、凄まじい現実と、人々の変わらぬ日常の営みという二つのもの混在に、ある種のギャプを感じる。でもそれは、被災地の人が、現実を受け入れ(そうではない人もいる)、力強く復興の根を大地に下ろし始めているサインなのかとも思う。
また、その世界の違いというものは、私たちが遠く離れた被災地が、今はどうなっているのかという想像力を働かせるときに、それを難しくしている要因であるようにも思う。実際に見えないもの、思いを想像することは簡単ではない。ましてや、あれから2カ月が経った。人々の関心は時間の経過に反比例していくものだ。この遠く離れた土地でできる数少ないことの一つは、思いを風化させないことだ。被災地への人々の関心を、細く長く繋げていくことなのだと思う。震災から2カ月という今日、ここに思いを投稿させて頂いたのも、自分を含めた人々の思いを風化させたくないという、一つの戒めであるかもしれない。
かつて集落のあった場所(相馬市)
2011年5月11日水曜日
震災から2カ月
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