以前フィリピンの離島に滞在していた時に使っていたノートから、
必要な情報を抜き出していたら、ある一節を見つけた。
「それにしても、日本での私たちの暮らしを振り返ると、豊かな暮らしを享受しているはずの私たちが、まだ起こるとも起こらないともわからない漠然とした将来の不幸に対する不安から、‘生’が実践されている今という時を、ほとんどその保障のためにあてがっていることに気づく。私はあの男の人のさわやかな表情をいつまでも心に留めておきたいものだと思った。」(インドの樹、ベンガルの大地より)
南の国の人特有の緩慢なうごきと、からっとした笑みを何ともなく見ていると、
かなり前にインドで描写された一節に、再び息が吹き込まれたように感じる。
何かとやることが多かった日本から抜け出し、
熱帯の湿気に包まれてスコールを眺めていると、同じ世界でも場所によって時間の
流れ方がずいぶん違うのだなあと思ったりする。
雨季の入り口にさしかかっているルソンより。
Taikai Takahashi
2011年6月23日木曜日
◇過去の記憶とスコール◇
時刻: 木曜日, 6月 23, 2011
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