6月25、26日に広島大学で全国数学教育学会研究発表会が開催されました。
馬場研究室からは、石井さん、ゴンザレスさん、渡邊が発表いたしました。3人とも発表直前まで入念な準備をしておりました。日本の数学教育学の発表会で開発途上国の数学教育における研究の話をするわけなので、私たちのセッションではオーディエンスは決して多くはありませんが、活発な意見や日本の数学教育研究者から意見は、非常にシャープなものだと感じています。なぜならば、客観的な視点からの意見である場合が多いからです。
馬場研究室は、開発途上国の数学教育に関する研究に取り組む人が多いですが、その基盤となる理論や考え方は、日本のものを参考にする場合が多いです。なぜならば、わが国の教育協力への貢献を意識しているからです。二足のわらじを履くような研究スタイルですが、既存の学問に触れることは、何かの本質を追及する上でとても大切なことです。本質を見る視点や観点は人それぞれだと思います。しかしながら数学教育という以上は、数学の学問としての特性を無視することはできないでしょう。
私は、数学という学問の価値を非常に感じております。数学者は、数学には「美」があると言うことがあります。その美とは何でしょうか。おそらく学校で取り扱われる数学からその美を感じることはまずないでしょう。感じても「不思議だな~」というまでではないでしょうか。学校で扱う数学では感じることができないからといって、横に置いておいてよい感覚ではないと思います。数理的な構造の中にある「美」、これはシンメトリーな図形の美しさ、夜景や星空を見たときの感覚に近いものだと思います。数理的な構造を可視化したものがシンメトリーな図形や、一見ランダムに見える星空だと考えられるからです。では目に見えない数理的な「美」といえば、方程式の解やある関数の構造または数理的な事実の証明の中に現れてきます。
今統計学を勉強しておりますが、統計学でいう相関係数は、数学の線形代数の言葉で説明すれば、COSθでしかないのです。COSθといえば、高校数学で習う数学の関数ですが、相関係数というものに結びつきます。その証明は非常に簡単ですが、既習事項が別の概念に結びついてしまう。これは数学の威力そのものなのだなと感じます。またフェルマーの最終定理という350年間誰も証明できなかったものがあります。それは三平方の定理をa^2+b^2=c^2 を満たす自然数a,b,cは無限にありますが、途端に指数の2を3や4に変えた場合には、それを満たす自然数a,b,cは一つもないというものです。この小学生でも理解できそうな問題を証明するために、なんと350年の時間がかかりました。この定理は約20年ほど前に証明されましたが、最先端の数学が使われました。その証明の過程には、多くの日本人が貢献し、特に「全ての有理楕円曲線はモジュラーである」という谷山・志村が提示したいわゆる谷山・志村予想を解決することでなされました。そこには、一点の曇りもない途方もない理論が積み重なり、誰にでも理解できそうな単純な数理現象が証明されました。また別の問題で一見ランダムに何の規則性もなく現れると思われる「素数」の並びには、実は合理的で完璧な規則性を有するのでないかという予想があります。リーマン予想と呼ばれますが、現代物理学と結びつく非常にパワーを持つものだとされています。
このように数学には、問題そのものや問題の対象は、学校数学で触れるものであるが、壮大な歴史と未来への期待を秘めているものがあります。実用性が重視される現代の数学教育の中で、数学的な美的感覚を養うことは、一つの数学教育学の課題になるのではないだろうか。
数学なんてなぜ勉強するの?とよく生徒はいう。私はある意味では数学に触れる、学ぶことは、部活動と似ていると思います。例えば、野球部に所属しているからプロ野球選手になるわけではありません。しかしプロ野球選手にならないからといって、高校野球で燃え尽きるまで打ち込むことに意味がないとは思いません。体力がついて警察や自衛隊を目指す、チームワークが身について別の組織でやっていく、集中力が身について一流の科学者になるかもしれない。数学をすることもこれに近いものだと感じています。
数学そのものは教育的でない、という感じることもありますが、開発途上国で数学教育を論じる場合には、計算問題しか扱わないなど言われることがあります。確かにそれだけでは物足りない感じはしますが、計算が速く正確に行えること、さらに計算問題に打ち込んだ経験があること、これらそのものに教育的価値があると思います。日本とは異なり、計算問題、機械的な授業が多くみられる途上国では、その中から子どもたちが何を学んでいるかをプロ野球選手にならないけど野球部でとにかくやり遂げるといった観点から分析することが、数学教育開発の課題になり得るのではないかと考えています。
数学をする意味、途上国にみられる難しい計算や大半を占める機械的な授業から得られるものの本質を見極めたいと思います。
渡邊耕二
2011年7月20日水曜日
全国数学教育学会から感じたこと
時刻: 水曜日, 7月 20, 2011
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