ICMEが1969年フランス(リヨン)で始まって以来、今回が11回目になる。4年ごとに開催されるこの世界的なお祭りは、もちろん数学教育において最大のものであり、参加者は3000人を超える。ICMEは開催当初より、開発途上国の問題に非常に興味を持ち、分科会などの形で取り組んできた。そのカルミネーションが、今回初の開発途上国での開催となるのだろう。今回のICME第11回をいろいろな角度から見ることができるだろうが、この点は今後のICMEを考える上で、記念碑的な意味を持つ。
その意味について考えてみたい。二つのキーワード、多様性と公正(Equity)が、上記の方向性を象徴していた。多様性を数学教育の学会で取り上げるのは、大きな意味がある。というのも、数学はある意味で西洋文化最大の到達点であり、普遍性を語る象徴的な存在と通常思われているからである。民族数学(D'AMbrosio,1984)はこのような常識的な通念に対して、数学の多様性を主張した。スペイン語圏であるメキシコで開催されたこと、D'Ambrosio氏がKlein賞を受賞したことは、これらのことと無関係ではないであろう。グローバル化する経済に対して、各地で起きる反グローバルな動向、間違いなく今後向き合っていかなければならない問題の一つである。数学教育はようやくその第一歩を踏み出しつつあると思えた。
二つ目のキーワードである公正さは、グローバル化される経済の中で取り残されるひと、ものに対する社会的正義を指している。自由競争は時として、持たない人から容赦なく奪い取ってしまう。しかしそれに対して20世紀最大の社会的実験-社会主義-は答えを出すことができなかった。他方でグローバル化の影響なのか、BRICsやVISTAなどのように、またそれ以外の国々でも、経済成長を遂げつつある。海外旅行をする人数も指数関数的に増えつつある。このような中でどのように社会的正義を実現していくのか、非常に難しい選択が迫られている。開発途上国-先進国の問題、貧困者-金持ちの問題を、(数学)教育の中でどのように受け止めていくのかは今後の課題である。質の高い教育を求める上で、公正さの話は抜きにできないとは、今回のICMEでの指摘である。
この二つの点は、ともに現在の社会がもつ問題の複雑さを反映している。それに対して、第五番目の世界文明になったかもしれないメキシコで考えたことは、その後滅びてしまった古代文明のようなことになるのか、それとも今しばらくの春を謳歌することになるのか、それはすぐには答えの出ないアポリアということになるだろうか。
馬場卓也
注:ICME=International Congress on Mathematical Education(数学教育国際会議)
2008年7月15日火曜日
ICME紀行記
時刻: 火曜日, 7月 15, 2008
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