研究休暇を利用して、オーストラリア・メルボルンに来ている。このメルボルンはオーストラリア人が一番住みたいところだそうで、歴史的建造物(多くが教会)があったり、移民博物館もあったり、また景色もよいところである。最初はなれなかったトラム(路面電車)を利用して、街中を歩き回っている。すし屋(すしを売っているところという意味)が非常にたくさんあるが、日本のすしを想定して食べると、期待を裏切られる。
さて今回の訪問はMonash大学のSeah先生(シンガポール出身)が受け入れ教官だ。Monashだけではないが、オーストラリア全体が色々な制度を取り入れている中で、先生のように移民教員は珍しくないようで、日本の在り方を考えさせられる。先日、誰かの誕生日パーティで、一緒に飲茶パーティに連れて行ってもらった。その席でベトナムからの英語教師は、これまでタイやシンガポールでも大学教員をしたことがあると言っていた。日本の大学教員を取り巻く環境から見れば、随分と違う世界だ。
今回の出張では、自分で作った夕食をとりながら、持ってきた「官僚たちの夏」のビデオを見ている。先進的な取り組みをどんどんと行っているオーストラリアにいながら、日本の繁栄の時代を作り出していった官僚のドラマを見るというのは不思議である。ビデオの中の主人公は熱く、国内産業派と国際通商派の戦いは見ごたえがある。国際通商派が勝ったように見えて、しかし日本の自動車産業や電子産業の発達ぶりを見れば、国内産業派が勝ったと言えるのもかもしれない。いやむしろ、いずれでもなく、まったく新しい世界が開けたのかもしれない。事実、自分たちの後ろにいたはずの国々が、追い抜こうとしている。
訪問の主要テーマの一つ「授業研究」は、幸いなことにあちこちで話をする機会に恵まれる。シドニーでは大型授業研究プロジェクトの指導者Allan White教授に面会、22日にはMonash大学で発表もする予定である。自分たちが無意識に行っている実践を、このように外から眺める、もしくは外から眺められる機会があると、前提としていたものが洗いだされる思いがする。結局、日本のすしも大学教員を取り巻く環境も、日本の文脈では自然なのだが、実は必然ではないということだ。他方で「官僚たちの夏」のように歴史的に見てくると、今度はこれらのことが今一度必然性を帯びてくる気がするので不思議だ。
22日の発表では、内発的発展を基底におき、ザンビアにおける授業研究プロジェクトの議論をしたい。そこでは、ここで述べた文化相対性や歴史性についても、もう一歩踏み込んだ議論ができればと思う。ホテルでワインを飲みながら、このように色々なことを考えることができるのも、研究休暇の良い点だろうか。
写真は順に、モナシュ大学内 研究室、教会と街の風景、教会内部。
2009年9月13日
2009年9月13日日曜日
メルボルンのすしと授業研究
馬場卓也
時刻: 日曜日, 9月 13, 2009
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