2011年2月7日月曜日

バックパッカー(BPK)の中国 (#1)

最近、なにかと中国の話題が多くなってきた。衣・食・住、どんな場面でもどこかでChinaという文字が躍る。ここIDECでも中国の話題は絶えない。私たちの中国観はこの先どうなっていくのだろうか。少しバックパッカー(BPK)時代の体験を振り返ってみたい。
 BPKとして2007年に中国に入った。奇しくもその年の5月以降、チベット自治区への外国人の立ち入りが大きく制限され始める。インドやアジア地域を旅するBPKにとってチベットは天上の秘境であり、憧れの聖地だ。自治区内の標高は4000mを超え、岩と砂の砂漠が果てもなくシルクロードに伸びている。ほとんどの地域が当局によって渡航禁止区域とされており、公共の交通手段もない。BPKは何千キロもの荒野をヒッチハイクしながら、中国人に化け息を殺しながら旅する。世界で一番青い(藍色)とされる空を天に仰ぎながら。
 中国と一言で言っても、そこを訪れて最初に気付かされることは、中国という国は存在しないということだ。ざっと見渡しても、北の朝鮮民族エリア、モンゴル族エリア、西の新疆ウイグル(ムスリム)系エリア、チベット族エリア、南の雲南山岳民族エリアなど漢民族と全く文化を異にするグループが多数存在し国土面積としても大きな部分を占めている。これらの民族はマイノリティとされているが、それは漢民族と比べた上での話であって、実際には一国として存在していてもおかしくない規模と独自性を誇っている。当局(漢民族)が最も恐れているのは、それらの民族が独立するために蜂起することだ。
 当時、高校の教員をしていた私は、その辞令期限の最終日3月31日に、大阪の南港から蘇州号という船で上海へ向かった。BPKに戻ったわけだ。これまでアジア全域を渡り歩いてきたが、私は一瞬で中国に魅了された。まず英語が全く通じない。日本の比ではない。ハローすら知らないのかというくらい、一応は世界のマルチ言語としての英語を屁にも思っていない。これはえらいことになってきたという、久々の不安と焦りとまだ見ぬものへのスリル感が脳ミソを揺すった。
中国の魅力は、一言でいうと、漢民族の愛想のなさ(裏表のなさ)と、多民族性である。漢民族は愛想笑いをしない。他人(こちら)に興味がない。おそらく日本人が中国人に似ているということはあるが、BPKとわかっても身構えたりしない。ただ、一度話しだしたり、接点ができたりすると、猛烈に優しくなる。とにかく人口が多いので、漢民族の森をかき分けて、私は北のモンゴル民族エリアに抜け、そこからムスリムの蘭州を抜けチベット自治区の縁にそって甘粛省、四川省のチベットエリアを南下した。つまり、北方遊牧民族チンギス・ハーンの末裔が営むトナカイ遊牧のゲル(家)でバター茶をすすり、白い四角の帽子を被ったムスリムが出す羊の塩ゆでに卒倒しそうになり、チベット寺院ゴンパの周りを巡礼者と一緒に経を唱え数珠を練りながら歩き続け、そして漢民族の作る四川風麻婆豆腐に帰りついた、ということになる。中国という国をある線で北から南に縦に切ると、その切断面はこれほどまでに多彩で豊かな文化色を放っていた。
これほどまでに多彩な文化の塊を一つの国として維持していくのはどれほど大変なのだろうか。いや、無理があるのかなとも思う。
 どれほど列車やバスを乗り継いで、山間の村に入っても、インターネット屋の看板を見つけることはそれほど難しくはない。携帯電話はもはや山奥の僧院の修行僧ですら片手に持ちながら、話歩いている。村には近代化されるよりも先に、世界中からの情報の波が人々の意思に関わらず入り込んでいる。その頭でっかちな歪な構造は、この先、まだ未開発の土地に住む人々の生活にどのように影響するのだろうか。多民族国家を力で抑えつけている中国という集合体の内部に、この情報の大きな波は徐々に波及し始めている。
(BPK Taikai, T.)

(Rollei 35T black & white)

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