先日京都大学数理解析研究所の望月新一先生が、数学の難問「ABC予想」を解決したと発表された。私はその証明法や数学的なアイディアは、全くの全く理解なんてできないが、これが証明されれば、350年間未解決問題であった「フェルマーの大定理」の証明も一気に簡潔になるそうである。なんとなく、ケプラーの法則がニュートンの微分積分学によって、今では数学の本に例題として載っていることに似ている。
それはそうとして、最近では世紀の難問として名高かった「ポアンカレ予想」が
2000年代前半に解決された。
フェルマーの大定理は、谷山・志村予想を解決することで、証明が与えられた。その過程には、岩澤理論が大きな役割を果たしたそうである。ポアンカレ予想には、サーストンの幾何化予想を解決することで、証明が与えらた。ポアンカレ予想は、トポロジーという分野の問題であったそうだが、その証明には、微分幾何学の考え方などがフル活用されてたそうである。これらの問題に関わった数学者の中には、その解決に至らず、日の目も当たらなかった方も大勢おられたといい、その難しさが実感できる。
このような一般に難問に対する数学者の研究だけでなく、一般には分かりにくいが多くの数学者が、数学的な問題を解く(新たな定理を発見する)ことに努力されているのだろう。
この前、ある数学者が、「子どもたちは、数学者が日ごろ取り組んでいる数学の問題を解決する、ということに近いことを算数・数学の授業の中でしている」、と話をされているということを聞いた。まさにその通りだと、納得した。
子どもたちが取り組む数学のレベルは全く違うが、始めている体験する問題やアイディアに触れるときに感じる感覚がとても似ているということを言いたかったのだと思う。
数学者あるいは科学者が、新たな問題に立ち向かう姿勢というのは、程度の差はあれ、子どもたちも普段から感じるもので、それを感じてもらうようなことを算数・数学の中で大切にする必要があるのだと思う。
数学者から学ぶ教育的な側面は、その内容ではなく、そのチャレンジ精神なのではないだろうか。
最近では、分数を計算からその意味まで完全に習得している人が、分数のここが難しいとか色々話をするが、それと同時に、子どもたちが難解なものにチャレンジするという感覚を大事する見方も大切なのではないだろうか。
理解あるいは解決が難しいようなものにチャレンジする感覚を大切し、また意図的に体験しながら、子どもたちの学習成果をみていくような研究が続けられればいいな、と思います。
2012年10月22日月曜日
チャレンジ精神
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