修士論文執筆中のためにブログを暫くお休みしていた澁谷です。
無事に博士課程前期を修了することができ、また博士課程後期に進学することになりました。
研究を行うにおいてまだまだ未熟な点が沢山ありますが、多くのことに相談に乗って下さる先生の下、4月からも引き続き気合を入れて頑張ります。
ザンビアで色々とお世話になりました有馬さんと辻本さんの両先輩方のご活躍をお祈りしております。
でも、お別れは寂しいものですね。
澁谷 渚
2008年3月24日月曜日
修了&進学
ラベル: Generalなお話, 澁谷 渚
2008年3月16日日曜日
就職活動(続編の続編)
3月も半ばとなりましたが、依然就職活動は続いております。
先日は霞ヶ関(外務省)で面接を受けてきました。霞ヶ関という場所は初めてだったのですが、独特の雰囲気を感じました。面接では、良くも悪くも「役所」を感じました。国際協力を志してから、大学に身をおき、青年海外協力隊を通じてJICAとも関わりを持ちましたが、就職活動を通して、初めて民間企業(開発コンサル)や、外務省と接しました。乏しい経験ですが、乏しいなりに関った感想として、大学、JICAを中心とする日本の国際協力機関、民間企業、省庁(外務省)とそれぞれに特色があり、鍛えられる能力が違うであろうことを感じました。
国際協力に携わる人に求められる能力というのは、非常に多彩だと思います。多岐にわたる国際協力に関する知識、専門に関する知識や経験、組織の中での振る舞い、途上国に躊躇なく入っていく姿勢、マネージメント能力、事務処理能力、関係調整能力、文章を書く能力、TOEIC等の点数だけではない語学力・・・等々社会経験がほぼ皆無である私にとっては、足りない能力だらけです。
ですが、逆に考えると、どのような環境にあっても、何かしらの能力を鍛えることができるということです。これから先どうなるのか、たった2、3週間後のことですらほとんど見えない状況ですが、前向きにがんばっていきたいと思います。
辻本 温史
2008年3月11日火曜日
Wonderful Okinawa
Hi everyone!
Last week, I went to Okinawa to participate a seminar focused on sustainable development of tourism which is organized by JICA and Kunigami Tourism Association. Honestly speaking, my expectation of Okinawa was not very well. Yet, once I arrived in Okinawa, I really impressed the nature of Okinawa, especially BLUE SEA. I’ve never seen blue sea before. This was my first impression. Okinawan people are very kind and calm. My friend from Tokyo said that Okinawan people and life are very peaceful. Perhaps, they do not rush because they have such a beautiful nature. Yet, I thought, Okinawan people are very hardworking.
Since the orientation of seminar was the tourism, we visited many beautiful gardens, eco-parks, and tour bases, especially several beaches. Coordinators of the seminar were working very hard in order to support us to learn many things.
Here, especially, I would like to talk about one important thing which I really impressed. During the visiting from one place to another place, a guider who is local man of Okinawa sang a folk song. After song, he explained us meaning of the song. As he explained, the song was about the hardworking of Okinawan people. I think, this song might teach us how deep and broad is the meaning of a word “ganbaru”. As I understood, the word “ganbaru” has a respectful and complex meaning. There was a sentence in the song. It is
“if you could not do something, it means you did not try hard (did not ganbarimasu)”.
I can be understood that if someone has failed or could not succeed, it means that person did not try hard enough. If he or she has tried as much as the song said, that person would not fail. THIS IS TRUE. Yet, I’ve never thought the meaning of this word seriously like this. I often do say this word. But, I realized that when I said “ganbarimasu”, this broad and deep meaning were not attached with it seriously.
I think, “ganbaru” can not be simply translated into English “try hard”. Maybe,
“ganbaru” = “try hard” + “try all my best”
including time, capacity, motivation and development. Perhaps, this is my recent discovery of one of the characteristics of Japanese culture.
Purevdorj Oyunaa
ラベル: Generalなお話, 修了生
2008年3月3日月曜日
カンボジアに行ってきました
カンボジアに行ってきました。
広島県がJICAの草の根無償を受けて行っている「カンボジア 元気な学校プロジェクト」というプロジェクトがあるのですが、そのアシスタントです。
http://www.apic.or.jp/plaza/oda/education/20070628-01.html
お役に立てなかったらどうしようと不安を抱えてカンボジアに飛び立ったのが2月22日金曜日。飛行機が少し遅れて、カンボジア・シェムリアップのホテルに着いたのが同日2月22日22時半。予定表を渡され、「明日は7時半出発です」とのこと。やばい!寝不足なのに。それに、最近完全に夜型。新幹線と飛行機の中では寝てましたが。7時半出発って言ったら、6時半起床目標でしょう?でも、事なきを得、ちゃんと朝起きることができました。一週間無事無遅刻で過ごせました。神様ありがとう。

けど、大変でしたよ。朝6時半出発なんて日もあった位だし、後半は夜0時とか1時まで仕事に追われていました。冊子を150部くらい作ったり、教具を作ったり。でも、こういう系は割と得意分野だったので助かりました。お陰で徹夜を免れた気がします。

今回印象的だったのは、何と言っても、日本の指導主事の腕前です。プロフェッショナルですね。学ぶべきことが満載でした。的確な指導助言、適切な教材制作、適切なリーダーシップ、ノートを取る速さ。本人曰く、「慣れですよ。」この道で絶え間なく続けた努力の積み重ね、ってとこでしょうか。
写真は最終日に駆け込むように訪れた、アンコールワットの日の出です。朝5時20分にホテルを出て、7時に帰ってきました。やっぱり今度は中央の塔に登らないと、ね。
松永 彩
ラベル: 修了生
2008年2月23日土曜日
ザンビア到着リポート
1月8日からザンビアプログラムのため2年間協力隊員活動をすることになりました。
ザンビアに着くのはとっても楽しみで、飛行機の窓から地面が見えてるのに早く着地したくてうずうずし、ウホウホと到着しました。 私は2001年12月から2003年12月まで、ザンビアで理数科教師として協力隊員活動をしていました。今回は2度目の協力隊、しかも同国同職種ということで、恐らく協力隊史上初のケースでしょう。よく「国が同じだから勝手もわかって楽でしょ?」と聞かれます。ザンビアは多民族国家で、73もの部族があります。
以前は東部州のペタウケにある全寮制の高校(セカンダリースクール)の数学教師として活動しました。ペタウケは首都ルサカから450キロ東に行ったところにある小さな町です。学校の教員用住宅に住んでおりましたので、ご近所さんは同僚の先生方とその奥様方。ペタウケはマラウイやモザンビーク国境に近く、言葉はチェワ語というマラウイの言葉が主流で、ペタウケ付近ではセンガ族という種族(tribe)が住んでおり、センガ語も多く話されておりました。受け持ちの生徒たちは10年生から12年生、学校には8年生や9年生もおりましたが上級生の影響からか少し大人びた印象がありました。また、全寮制の高校で地域でも高い学力の生徒が選抜されて来ていたり、首都のルサカからも生徒が入寮していたので、生徒たちも選ばれた自覚といいますか、自信に満ちていた印象があります。
今度教える学校であるカリルウェベーシックスクールは中央州のムンブワにあります。ムンブワはルサカから西に130キロ離れた小さな町です。ムンブワは色々な種族に挟まれた地域のため、言語は前回覚えたチェワ語のほかに、トンガ語やロジ語、カオンデ語を話す人が多く、会う人の出身によって挨拶する言語を変える必要があります。町の規模こそ前回勤務していたペタウケとはさほどかわりませんが、今度は1年生から9年生の生徒を擁する学校(Basic School)で働くことになります。
今度の学校はムンブワ郡のモデル校として機能すべき中心ともいえる学校で、学費(PTA費も含む)も近隣の学校より高く設定されているため、地域の中でも高めの所得者層の子供たちが通います。身なりもキレイです。前回働いていた高校では、すべてが教科担任制のためか、男性の同僚が多く、私も飲みニケーションで助けられたものですが、今度は1年生から7年生までの先生方は担任がすべての教科を教えるためか、女性の同僚が多く、飲みニケーションは通用しなさそうです。そのかわり、ほとんどの女性の同僚は子供ももっていらっしゃるお母さんなので、同僚とは井戸端会議的なコミュニケーションのほうがうまくいくことでしょう。
ベーシックスクールは通学制のため、教員用住宅は充実しておらず、またムンブワは極度の住居不足のため、私はモーテルの3部屋を改装したところに住むことになりました。ということは、ご近所さんも子供たちもいないところに住むことになり、家のまわりでお世話になる人はホテルの従業員ということになります。夜になると泊まりの受付嬢と警備員のみになってしまい、子供たちとの交流が楽しみだった私にとっては多少さびしくも感じます。
先日、馬場研の先輩である佐々木さんの活動視察に伺いました。彼女には「Basic Schoolはかなり違うので覚悟したほうがいいですよぉ〜」と教わっていましたが、確かに1年生がおなじ学校で勉強しているのは風景が違います。彼女は「豆男クンと豆子チャンがたくさんいるんですよぉ〜」と表現されていましたが、まさにその通り。私の勤務する学校に視察に行った際、8クラス程度の授業を見学させてもらいました。その中で、2年生のOral Englishのクラスも見学しました。「命令」というテーマで、動詞を教えていました。2年生の生徒が50人くらい、クラスの中で「We are hopping! We are hopping!」といいながら、カエル跳びをしていました。彼らは英語をまだ自在に話せず、普段は現地語を話しているのですが、こうやって英語を習っていくんだなーと思うととても微笑ましく感じました。
私が一番印象的だったのは、月曜日に全校生徒が校長先生の話を聞くミーティングで生徒が歌うザンビア国歌です。高校でも同じような機会が毎週ありましたが、4年ぶりに大勢が歌っている国歌をきいて、多少ウルウルしてしまいました。ベーシックスクールのほうが歌ものびのびしていて、しかも集会は青空の下で行われ、ものすごくザンビアを感じました。
協力隊員は到着後1ヶ月間、現地の事情や言語を学ぶため現地訓練を受けます。現地訓練は先週で完了していますが、私は住む家の契約がまだ終わっていないため、まだ首都ルサカで待機中です。いつ赴任できるのかわからないのもザンビアです。今度は赴任後ムンブワからお届けしたいと思います。
山田 恭子
ラベル: ZAMBIAについて, 山田 恭子
2008年2月19日火曜日
就職活動(続編)
修士論文も(とりあえずは)提出し、無事(?)最終発表も終え、残る大きな課題は苦戦している就職活動です。
教育系の国際協力の道を志し、現在、4月以降の勤め先を探しています。今日は、某コンサルで面接を受けてきました。志望動機と経歴を含めた自己紹介をしたところ・・・、
「馬場先生のところ?」
「あ、はい。」
前回、大坂で別の面接を受けたときも同じ事を聞かれました。この業界にいる限りは、よくも悪くも「馬場先生の学生」という肩書きはついてまわる事になりそうです。
ということは、
「私の評価=馬場先生の学生の評価」
となるのでしょうね。後輩たちのためにも、頑張らないと・・・
と、身が引き締まる思いです。
辻本 温史
ラベル: Generalなお話, 修了生
2008年2月18日月曜日
名前とアフリカ
現在、調査のために南アフリカのケープタウンに滞在中。
2月13日、午前10時50分に関西国際空港を出発し、香港、ヨハネスバーグで乗り継ぎ、約30時間かけて、2月14日の午前11時、ようやくケープタウンに到着。その日の天気は雨。肌寒さと、疲れで少し頭痛を感じながら、現在宿泊しているホテルに向かった。 その到着初日の、ホテルのチェックインでのこと。
木根:「チェックインお願いします。」
受付:「どこから来たのですか?」
木根:「日本からです。」
受付:「遠かったでしょう。どれくらいかかりましたか?」
木根:「空港待ちの時間も入れて、30時間くらいですかね。」
受付:「それは大変でしたね。では、お名前を教えてください。」
木根:「木根(キノネ)です。」
受付:「あっ!」
木根:「?」
受付:「あなたがキノネ?」
木根:「はい。」
受付:「チカラ キノネ?」
木根:「はい。」
受付:「いやぁ、あなたが!」
木根:「???」
受付:「イイィッヒッヒッヒッヒィ…」
木根:「どうしました?」
受付:「いやね、日本人の名前や言葉は面白いですよね。」
木根:「???。」
受付:「私はジンバブエ出身なんですが、『タナカ』や『モト』という言葉は、別の意味で私たちも使っているんですよ。」
木根:「はぁ?」
受付:「例えば、タナカは『We are fine!』でしょ。で、モトは『Fire』。」
木根:「???」
受付:「で、『チカラ』もね…。」
木根:「!!!」
受付:「実は特別な意味があって…。」
木根:「…」
受付:「いやぁ、イイィッヒッヒッヒッヒィ…」
木根:「どんな意味ですか?」
受付:「いやぁ、それがね…」
木根:「???」
受付:「イイィッヒッヒッヒッヒィ…」
木根:「???」
受付:「『Dangerous Wild Animal』!イイィッヒッヒッヒッヒィ…」
木根:「???」
受付:「ただのWild Animalじゃないんですよ!Dangerous!イイィッヒッヒッヒッヒィ…」
木根:「???」
受付:「人を襲ったり傷つけたりするような…。例えばライオンとかトラとか、イイィッヒッヒッヒッヒィ…」
木根:「…」
受付:「いやぁ、日本人の名前は面白いですね。イイィッヒッヒッヒッヒィ…」
木根:「…」
青年海外協力隊としてザンビアに2年間滞在していたときも、自分の名前で苦労した。そのときはもっとひどく、私の名前「チカラ(主税)」は、ザンビアの現地語では「男性の一物」という意味であった。
ま、それもある意味「Dangerous Wild Animal」かもしれず、かつて「ローデシア」というひとつの国でもあったジンバブエとザンビア。互いの言葉にも通じるものがあるのかもしれない。 ちなみに、この受付の方にザンビアでの苦労話をしたところ、彼の奥さんが、なんとザンビア人だという!
「イイィッヒッヒッヒッヒィ…」
と笑いながら、彼は私のことを奥さんに話してみると言っていた。 日本では、「主税(チカラ)」という名前は、忠臣蔵の大石内蔵助の息子の名前として知られており、私の将来を想ってこの名前をつけてくれた両親は、まさかアフリカの地にて、自分の息子が、その名前で笑い物にされるとは想像もつかなかったことであろう。
「所変われば品変わる」。
日本語の意味もアフリカでは変わってしまう。日本の常識が通じない、一種のカルチャーショックなどと言えば、少々大げさになるであろうか。 来週は、ここケープタウンを離れ、2年ぶりにザンビアを訪問する。今回も、きっとフルネームでは名乗れないであろう。少々寂しい気もするが…。
蛇足だが、私は、生まれも育ちも九州の「クマモト(熊本)」。これまたスワヒリ語圏では特別な意味を持つ言葉。ケニアを訪問した時に、ナイロビで現地の人から「クマモト」と呼ばれてうれしく感じ、傍らにいたケニア在住の友人から「あんたバカにされてるよ!」と叱られたことを思い出す。
恐るべしアフリカ。次は何が待っていることやら…。
木根 主税
ラベル: Generalなお話, ZAMBIAについて, 木根 主税