2011年12月27日火曜日

Happy New Year to Everyone!

Merely three months there are five students will graduate from this lab, in the path of success in accomplishing Master degree, I am deeply grateful for the support and collaboration of several people.

First of all, I would like to express my heartfelt thanks as well as respect to Professor Takuya Baba, at Graduate School for International Development and Cooperation, Hiroshima University. For his guidance, resourceful lecture and critical directions all the time, has been always inspired me to further efforts. I rejoiced to have such good opportunity to study under Professor Takuya Baba’s supervision because with his usual conscientiousness, all the students here including me could make our researches going smoothly and rethinking the problems by his timely suggestion.

I would like to thank to all my friends as 渡辺さん、須藤さん、Gonzalezさん、Bandaさん,高阪さん and so forth, for these two years, I enjoy the life sharing with you, feel deeply grateful to all your help and advice to me, which makes my work here going on smoothly.

Allow me to congratulate you on the arrival of the New Year and to extend to you all my best wishes for your perfect health and lasting prosperity.

陳 思

2011年12月19日月曜日

2011年も終わりに近づきました。

早いもので、2011年も終わろうとしています。
私はこの10月に後期過程2年目が始まりました。研究の成果が順調に上がっていないので、今年の残りと来年には、Productiveに研究をしていきたいと思いながら、、、どうなるでしょうか。

今年は東北では巨大地震が発生したり、日本はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に参加表明するなど、国内外を問わず様々な動きがありました。円高もそのうちの一つでしょう。

そんな社会情勢の中で、基本的には机の上で日々作業をしています。机の上での勉強に対しては、いろいろな人がいろいろな価値観を持っていると思います。ですが、僕は理論的な研究に出来る限り浸りたいと考えています。世の中には、いろいろなタイプの研究分野がありますが、僕個人としては、てんとう虫の生態を理解するような研究を目指しています。一見社会に役に立たないように思われることであっても、大切なことはそれに向かう姿勢であると感じるからです。また直接的に社会と結びつきの強いもの必要とされているものの後ろには、確固たる学術的な理論が隠れています。大学で勉強をしている以上は、そのような間接的でないと感じることができない価値に触れていたいと思うからです。

今年も研究室の皆さんには、大変お世話になりました。来年もよろしくお願いします。

渡邊

2011年12月12日月曜日

ああ カンボジア

カンボジアといえば、ポルポト政権、クメールルージュ、アンコールワットとなんとなく断片的な情報が頭に浮かぶだけの国にすぎなかった。それがどうしたことか「明日カンボジアに行ってもいい?」なんていってしまうほどの近しい国になってしまった。

先日カンボジアから4名の研修生が来日し、指導案作成のお手伝いに参加させていただいた。日本語・クメール語の通訳をはさみながらの会話では情報の伝達でさえもまどろっこしかったが、それ以上に相手の気持ちがわからない(相手も私の気持ちがわからない)ことが最大の壁であった。たぶん相手の顔をみて話しかける(・・・)ことができなかったからだろう。

とはいうものの人間とは不思議なもので、共に過ごし共に何かを成そうとしたとき、何かそこに通じ合うものが生まれものである(こんな経験は皆さんされていることと思うが)。そんな瞬間がこの短い研修の中にもあった。模擬授業終了後のこと、気になる点は多々あったが「すごくよかったよ」と嘘偽りなく気持ちを伝えると、満面の笑みが返ってきた。交わした握手も熱かった。そして思わず抱きしめてしまった。(女性だけ)

彼らが授業を作り上げていくことの価値に気付き、それを教師の卵である学生たちに伝えていってくれたらと切に思う。

When I hear Cambodia, I associate Pol Pot, Khmer Rouge, Angkor Wat and so on. Cambodia was one of the countries that I have some chips of its information. I do not know what happens to me, I want to ask someone “May I visit Cambodia tomorrow?”, which means Cambodia became a closer country.

The other day four Cambodian trainees came to Hiroshima and I had an opportunity to help them to make a lesson plan. Because of interpreter It was very difficult to communicate each other even message of information, moreover we could not understand what he or she thought. The latter one was a kind of obstacle in our relationship. I guess we talked to the interpreter not to him or her looking on them.

However human is beyond our capacity. When they spend time together and try to do something together, something to make sympathy is supposed to come. I experienced such a kind of moment in this short training course. After conducting the demo lesson I told them from bottom of my heart “I am so glad that it was better than I expected.” They had a big smiling and held my hand with gratitude. It made me hold them tightly.
I wish they realize the worth of making lessons and teach students who would be teachers in the future.


水中ホッケーアジア国際親善試合

12月2日から4日にかけてシンガポールで行われた、
第4回水中ホッケーアジア国際親善試合に日本代表として出場し、
3位入賞を果たしました。

水中ホッケーとは2チームがプールの底で、
パックを奪いあいながら相手ゴールにパックを入れあうスポーツで、
欧米を中心に世界的に盛んな競技です。

今回の国際大会を通し、国内では感じることのできなかった、
新たな課題が明らかになりました。
来年は優勝できるように練習に励みたいと思います。

また、研究においても、積極的に世界に目を向け、
内容を深めていければと感じました。


2011年11月30日水曜日

東北行き

続投になります。
今週(30日深夜)から震災支援で東北へ入りますので、ご報告申し上げます。
詳細は広大のHPにアップされておりますのでご覧ください。
http://www.hiroshima-u.ac.jp/news/show/id/12491
 慌ただしい師走に入ります。最近の震災支援の状況をお伝えします。
3月にIDECで結成された震災復興支援ボランティアOPERATIONつながりは、おかげ様で継続的に学生主体の震災支援活動を続けております。ここでは、「組織」というキーワードで幾つかの活動に触れたいと思います。
 ある目標(ここでは被災者の精神的健康維持)を達成するためには、様々なアプローチが考えられますが、私がこのOPERATIONつながりという組織を通じて行っている手法は、
・事業計画(企画書)の策定 (→団体のポリシーに基づいたもの)
・完全分業化(それぞれの担当部署が仕事を受け持ち独自に動いている)
・意志決定機関である3種類の会議の設定(幹部会・総会・部会)
・複数媒体による広報活動(大学HPに震災ボランティアのアイコンを作ってもらいました!)
・大学・企業・自治体との連携
があります。被災地の課題・ニーズを明確化し、それに基づいた大目標や小目標を設定し、活動内容を具体化していく。この過程は国際協力の分野等で用いられているPCM手法が大いに参考になりました(評価にまでは至っていないですが)。この方法で、現在までに大小17の企画が成され、さらに現在も大きな企画が進行中です(参考資料)。
 例えば、今回の東北派遣は主要企画の一つですが、留学生を含む26人の学生が現地で1週間活動するため、企画、交渉、広報等をスムーズに回すために、統括としてフルに頭を使っています。その中でも特に鍵となる部分は、資金の調達、地域企業との連携です。大学との交渉を実のあるものとするためには、団体のこれまでの実績を分かり易くアピールしなければなりません。そのためにマスコミに上手くかんでもらいます。テレビ・新聞・ラジオ等に頻繁に取材してもらっています。そして、広大と産学連携している企業様に協賛品をお願に回っています。ここでも如何に団体をアピールできるか、マスコミにかんでもらうかが鍵です。この東北派遣では、にしき堂様(もみじ饅頭)、イシカワ様(黒豆)、猫島商店様(広島菜)、あせひら様(ヨーグルト)から協賛品を頂いております。
 これらの活動が学部生主体で動かせるようになったことが、大きな成果です。学部生にこのムーブメントを受け継いでほしいですから。また、この経験を国際協力の現場で生かすことができると確信しています。震災復興という大きな目標に向かい続けるために、これからも如何に組織を上手く動かして行くか、頭が休まることはありません。Taikaindia

2011年11月22日火曜日

国際協力という悩み

早いもので、IDECを卒業するまで半年を切りました。悩んでばかりだった割には、自分はここで何が得られたのかということを自問する日々です。いろいろと事情が重なり、今のフィリピンというフィールドでやり始めてから1年で修論をまとめなければいけません。正直、もう少し時間をかけて一つのことをやり切りたいと思ったりもします。
 私はこのIDECで国際協力を学んできましたが、未だに「国際協力」とは何かを自らに問うています。机上で途上国を想定した論を転がすことがそれに当たるのでしょうか?対象の国に入り人々の意見に耳を傾けることでしょうか?途上国の人々の意識や政治のシステムを変えることでしょうか?それともこれら全てを同時に行うことでしょうか?この研究機関を出て、より責任を背負う立場に立った時、この問いはいっそう色濃くなり自分に振りかかってくるのだと思います。ただ、私が最近思うことは、ここでやっていることが、途上国の現状と程遠いものではないのかということです。
 例えば、少し飛躍した話ですが、今、コンゴ民主共和国では、資源争奪が原因で民兵、政府軍の間で内戦が続いています。村が襲われたくさんの住民が暴力を受け難民となっています。その内戦の大きな要因が、先進国が生産する電子機器(携帯・PC)の原材料になるレアアースという希少天然資源です。日本人は膨大な電子機器を購入し捨てています。それは持つ物と持たざる者の間に起こる負の連鎖だといえます。
 私たちは、国際協力を学んでいて、今後、それを実践(?)していこうとしています。しかし、一般的な日本人と同じように電子機器をふんだんに使い、エネルギーを使って当たり前に生活しています。コンゴの内戦について考えているでしょうか?それに対して小さなアクションを起こしているでしょうか?途上国と資源の問題は、畑違いかもしれません。だから、身近なこと(途上国とリンクしたこと)に無関心でよいのでしょうか?むしろ一般的な日本人より私たちの方がそのような事に関心が強いことが普通なのではないでしょうか。
 一つ気付いたことがあります。国際協力が「目的」になってはいけないなあ、ということです。何らかの原因(経済格差・民族対立・天災)で苦しい状況にある人々が、少しでもその状況から抜け出せることが目的であるべきです。そのためには、まず、国際協力を扱う人間が「身近な実践家」であることが必要なのではないでしょうか。また、悩みが深くなりました。
Taikaindia

2011年11月15日火曜日

時間の経過は早い

早いもので大学院に入学してから1年半が経過しました。
そして最後にアフリカの地を踏んでからもう3年が経とうとし、
タンザニアを出てからは5年も経ったのかと思うと不思議な気がします。
いつか行きたいと思いながらずーっと行けずにいるのはさみしい限りです。

なんとかお金を貯めて調査に行きたいものです。

2011年11月2日水曜日

修了後

みなさん、こんにちは。
元馬場研究室の中和(旧姓:澁谷)です。


3月にIDECを去り、今は東京の私大で働いています。

つい先ほど、馬場研のブログを拝見しましたが、皆さんとても
バイタリティある方々ばかりですね。
その個性にただただ、圧倒されるばかりです。

1年目ということもあり仕事量を加減されているはずなのですが、恐ろしい分量
の仕事が降ってきて
研究時間を確保するのが大変です。

去年の1年は論文を書くためだけに自分の時間を費やしていましたので
発表練習やレジメ作りなど思う存分時間をかけることができていました。
(その時は、それなりに必死だったように思うのですが・・・)

今はひ~ひ~言いながら、発表の準備をしたり練習をしたりしています。


でも、仕事はとても楽しいです!

今までも、途上国の教員養成についての話や教師の意識的変容について
議論することは少なくなかったのですが、自分が教員になり、意識を変えることって
すごく難しいな、ということが実感としてあります。

そして大人の意識を変えること、職能成長していくことは、子どものそれよりも
何倍も難しいことを授業や色々な場面で実感しています(通信の授業では成人の
方々にも
授業を行っていますので・・・)

また、アフリカで働くことができる日まで、試行錯誤、失敗の経験は私に課せら
れた試練だと
思い、日々の業務と研究をガンバっています。

たまに、IDECが恋しくなるときがあり、渡邉さんや誰それに電話しちゃいま
す・・・!
Love、馬場研ということで、閉じさせていただきます。

皆さんも寒くなってきた西条で研究にいそしまれてください♪
それではまた来月!!


中和 渚

初めまして!

初めまして、島田功と申します。今、10月3日の入学式の後で、緊張しながら馬場研究室を訪問させて戴いたのを思い出しております。想像していた以上に多くの院生の方がおられ、しかも英語でお話しをされていたのにカルチャーショックを受けて帰ってきました。
私は、現在、東京の私立成城学園初等学校に勤務しております。成城学園は、幼稚園から大学院まである総合学園です。成城学園初等学校は大正6年の自由主義新教育が盛んな時に、澤柳政太郎によって創設されました。澤柳政太郎は、文部省(文部次官)を退職した後、東北帝国大学や京都帝国大学の総長をされましたが、その後、教育で一番大事な学校は小学校であるということで現在の成城学園初等学校(当時の名前は成城小学校)を作りました。その時に、長田新(広島大学名誉教授、ペスタロッチ教育学の研究で有名な教育学者)の推薦を受けて小原國芳が訓導として成城小学校に来られることになったのです。私はこの度、馬場卓也先生の下で博士課程の院生として勉強させて戴きますが、広島大学と成城学園初等学校との不思議なご縁を感じております。
私は東京におり、しかも現職でありますので、院生の方々にお目にかかることも少なくご迷惑をおかけすることが多いと思いますがどうぞ宜しくお願いします。
今、成城学園初等学校では、11月上旬の文化祭と小学校入試に向けて、1年間で一番忙しい時期に入っております。

2011年10月28日金曜日

アフリカ教育研究フォーラム

ご無沙汰しております。
広大の並木はだんだん赤く色づき始め、季節が変わっていくのを感じます。

さて、先日稲田大学でアフリカ教育研究フォーラムが開催され、馬場研から5人の学生が参加しました。
今回は、私にとって日本で初めての学会発表で、しかも英語での発表に挑戦しました。
準備は基本的にはこれまで日本語でまとめて来たものを英語に直して発表するというものでしたが、英語で発表することでいくつかの気づきがありました。
1つは、言葉の持つ意味の幅の差です。
日本語ではうまく論が流れているように見えても、単純に英語に直すだけではうまく表現できない部分がありました。英語で論を進めることで、どういうことを意味したいのかというのが自分の中で明確になったように感じました。
2つ目は英語で質疑応答に答えることの難しさです。
今回の発表では、先に質問をいくつか受け、まとめて返答するというスタイルで質疑応答が行われました。
一つの質問に対してすぐに答えるというのは大分できるようになったと思うのですが、いくつかの質問のポイントを理解し、まとめて答えることのむずかしさを感じました。
やはり、質問を返すための英語を考えるのに意識が集中し、質問を覚えておくのは意外に難しいことなのだと感じました。

私は2年間ザンビアに派遣されていたという経緯もありますので、英語でも研究をまとめ、日本だけでなく、ザンビアにも還元できるようにまとめていきたいと考えています。

2011年10月17日月曜日

素数様!

私は手に花をもって教室に入ります。
「この花をばらばらにしてみましょうか。花、茎、葉、となりますね」(生徒はだいたい「うわあ、先生残酷う」などと茶化します)
「もっと分けられるかな?」・・・
こんな調子で素数の導入がはじまります。数を掛け算でばらばらにすると最終的に素数になる、つまり物質でいえば原子のようなものだと説明します。
 実はこのあと素因数分解という操作にはいるため、「2、3、5、7、11、13、1719、くらいは覚えなさい」という“しょぼい”授業展開になっていました。今日はこんな自分の授業を反省させられるNHKの番組をみました。

 みなさんは「リーマン予想」というのをご存じでしょうか。私などは名前くらいで知識ゼロでした。しかしこの知識ゼロ状態がよかったのか、かなりのインパクトを受けた次第です。教師の信念(belief)に影響を与える知識(knowledge)はこういうことをいうのではないか、と思うほどでした。
一見無秩序にあらわれる素数にどのような意味が隠されているのか、リーマンは「ゼータ関数の非自明なゼロ点はすべて一直線上にあるはずだ」という予想をたてます。以後150年まだだれも証明していません。番組ではこの難問に取り組んだ数学者を紹介。映画「ビューティフルマインド」の主人公もとりあげていました。
 リーマン以前にも、素数と宇宙のつながりを直観的に感じているオイラーがいました。いい加減に現れる素数と円周率とが関係があるという発見に驚かされましたが、それ以上に驚いたのはゼロ点の並び方が原子核のエネルギーがおこる間隔と同じ式であらわされていることが、数学者と物理学者との偶然の会話の中で発見されたということです。つまり素数を解き明かすことが確実にミクロな世界を解き明かすことになるというのです。
 「素数様!」と呼びたくなるくらいの感動がわき起こりました。と同時にこういう感動を伝えられない自分の授業の稚拙さ、生徒たちへの申し訳なさを感じた次第です。

2011年10月7日金曜日

World Teacher’s Day

10月5日ザンビアは祝日でした。
祝日といっても同僚の先生たちと一緒にチョマミュージアムに行きました。
そこではWorld Teacher’s Dayを祝して、チョマのたくさんの学校から先生たちが集まり、歌やダンスが繰り広げられました。

その一週間前、先生達がTeacher’s dayについて話していたので話をきくと、8時に郵便局の前に集合して、
みんなでおそろいのチテンゲシャツを着てチョマミュージアムまでマーチングをしようということでした。
そして、Teacher’s dayの前日、「明日は8時からチテンゲシャツだよね?」と聞きました。
ザンビアでは決めたことがコロコロ変わるのでこの質問が大切なことは知っていました。
すると「いや、チテンゲシャツはやめて白いシャツでキメテ行こう。」ということでした。
やはり、聞いてよかったと思いました。

そして当日、僕は8時と聞いていたので9時半に家を出て10時に郵便局に着くように行きました。
10時に到着してももちろん、まだ始まっていませんでした。
自分もザンビア生活慣れたもんだなと思いましたが、
1つだけ想定外なことがありました。みんな真っ赤なシャツを着ていました。
「え!真っ白のシャツでキメテ行こうって言ってたよね!?」と聞きましたが、
「赤のシャツを配っていたからそれにそろえることにした。」と言っていました。
同僚に会うたびに「どうして、白いシャツを着てるんだ。」と聞かれました。
僕は「どうして、赤いシャツを着てるんだ。」という気持ちでいっぱいでした。

そして、歌やダンスが終わり、最後のプログラムで先生たちの表彰が行われました。
長年働いている先生や、今年で退職される先生たちが表彰されていきました。
そして、僕もHard Working Teacherとして表彰されました!!!
すごく嬉しかったです。写真は表彰されてプレゼントをもらっているときのものです。
ちゃんと白いシャツも着ています。

野中俊和


2011年10月4日火曜日

学会の参加を通して

今回は,最近参加した学会のことについて書きます。先月は,福井大学で開かれた日本教師教育学会に、そして昨日まで秋田大学で開かれていた日本教育方法学会に参加しました。こういった学会は,大学院に入るまで,現場の教師にとって敷居が高いものだと考えていましたが,少数ながらも現職の先生方が参加されており、非常に刺激を受けています。教師教育学会では,自分の研究課題でもある現職教師の変容や教員研修のあり方に関して,最新の研究の流れを学ぶことができました。教育方法学会では,自分の研究発表をしましたが,発表を聞いて下さる方が意外と多く,貴重な意見をもらえました。これまで,授業実践の分析をいかに行うかについて課題としてきましたが,調査・分析ツールに関して新たな視点を得ることができました。また,学会が開かれた福井、秋田は全国学力達成度調査で常に上位にある地域ということで,その背景についての議論があり,非常に興味深かったです。

今後は,10月21,22日に早稲田大学で行われるアフリカ教育研究フォーラム、11月27,28日に東京大学で行われる世界授業研究学会(WALS11)にそれぞれ発表者として参加する予定です。来年からは忙しくなり,なかなか学会には参加できないだろうと考えているので,行けるうちに行っておこうと思います。実り多き秋になるよう、発表準備に精を出したいと思います。



石井洋

2011年9月29日木曜日

中間発表

本日、IDECでは中間発表が行われました。

中間発表とは来年3月の修了を目指す学生が同じ研究室以外の先生と学生に向けて日頃の研究の成果を発表し、様々な角度から御意見をいただく場です。

来年3月の修了に向けて残り6か月。少しでも途上国に良いフィードバックできるような論文を書こうと頑張っています!

発表者代表

2011年9月27日火曜日

新井の勝手な授業分析 Arai’s analysis of the lesson

9月13日、広島大学付属小学校1年生の算数の授業を参観しました。通常4年生から導入される「変化の規則性」を一年生で取り扱うという提案型の授業であり、大変興味深い内容でした。
指導者が指導案の中で述べている通り、「変化の規則性」を指導する際、以下の三段階を踏むべきです。
①変数をとらえる
②変数の規則性をとらえる
③式にあらわす
1年生では①に焦点をあて「どの部分がどのように変わっているのか見つけ、次の形を予想する」を本時の目標とするとし、授業後の説明でも「いくつずつ、どこが」にポイントを置いた、と授業者は述べられていました。
児童が自由に発想した①の例では
①まず幾何的にとらえる発言(Vの字が増える)があり
②つぎに3個ずつ増えるという代数的な見方をおさえ
③さらに一辺の個数に目をむけさせ
④一番目、二番目ということもとりあげた
児童の言葉を巧みに吸い上げておられ「さすが」と思う反面、少々性急な感がありました。なぜなら、その後の指導者が準備した例②において児童の反応をみると「こう増えていくんだな」というイメージはもてるものの、1番目、2番目といった順番にくぎることができなかったように思われました。つまり全体的に増えていくとかここが長くなっていくといった連続的な変化はとらえられているが、もうひとつの変数がまだとらえられていないということがわかります。授業の最後3人がいっぺんに前に出て形をつくったときの誤答がそれを表しているように思いました。
 たぶん次時で児童が作問する過程において、一番目、二番目の意識はついてくるとは思いますが・・。
 私見ですが、1時間目の授業では「変化に目をむける」とか「変化を創り出す」といった観点から授業構成したほうがいいのではないかと思います。たとえば授業の中で3番目を考えさせたとき(③)いろいろな考えが出されました。それらの変化に目をむけ「どこがどう変わったのか」「4番目はどうなるのか」などを話あわせるのも一案かと感じました。


We had a lesson observation at attached school on 13th of Sep. It was so interesting lesson for me, because usually in Japan the idea of function starts from G4 but Mr. Maeda challenged to provide the lesson of “Pattern of change” for grade 1.
According to his mention in lesson plan, we should follow three steps, which are to interpret variables, to interpret patterns of variables and to find algebraic expressions. I totally agree to his opinion. In addition the aim of this lesson is finding which part of figure changed and how to change. It’s a first step of the three. As he mentioned at the meeting after his lesson, he focused on the point ,“How many diamonds increased ? Where were the new diamonds put?”.
Shall we start to think back his lesson.?
At first students created their shapes freely like ①. He picked up some words which students said and wrote 4 points on the blackboard;
1. Pointing geometrical figure V
2. Making sure the number of increasing which is an algebraic view point.
3. Finding the number of the diamond in each side.
4. Picking up the words, first, second, third, fourth …
I was impressed his manage skill to pick up important words from students. However, to my opinion it seems to me those are too much to think for the first lesson in grade 1. Because judging from students responses in ②, they could have the image of the way of increasing but there were not sense of order, like first, second, third. It means that they have the image of continues changes however they do not get another variable. In the last part of the lesson it was clear that three students’ answers were one of the evidences how they were complicated.
Perhaps students may get the concepts of the order in the next lesson, I think.
In my idea, I prefer to focus on noticing changes and creating changes especially in the first lesson. For example, in his lesson when students was given ③, they expressed many idea as a third shape. I believe that finding changes in each case and discuss how to change and guessing next must be worth to raise their creativity and interests for pattern of changes.


2011年9月15日木曜日

震災から半年の歩み

東日本大震災から半年が経ちました。
以前ほど東北は注目されなくなりましたが、依然として復興の歩みは続いております。

IDEC発の震災ボランティアの活動も、おかげ様で地道に続けられております。
先日、以前から温めておりました企画、震災復興支援ボランティア「つながり隊」が仙台へ向けて出発しました。
今回の計画は、前回のチャリティーイベント等で集まった広島の方々の思いを、東北に直接伝えたいという思いによるものです。近々、IDECジャーナルにも掲載される予定ですが、前回のチャリティーイベントでは、大学内外から多くの人に来て頂き、広島からできることを模索しました。当研究室からも、馬場先生、ラボメイト、さらに石原先生より、心温かいご支援を頂き、震災支援活動への大きなモチベーションとなりました。

今回の「つながり隊」では、学部生主体のチーム(日本人学生17名、留学生5名)が6泊7日の日程で、仙台市での震災支援活動に当たります。活動の概要は、事前ワークショップ・現地ボランティア・報告会と事後ワークショップという三部構成となっております。活動全体を通じて、学生に「東北支援とは何か?」という気付きをもたらすことが目的です。私は当計画の企画運営に当たってきましたが、中間発表会が近いため、現地入りはできませんでした(無念です)。

現地ボランティアでは、仙台津波災害支援センターのボランティア活動(家屋復旧、泥除去等)に参加すること、
そして、若林区の仮設住宅で、子どもの学習支援、住民のメンタルケア・交流会をすることになっております。
現地の学生主体団体L&Dさんと協力して行います。また、広島からは、広島大学、一般企業さんがこの企画に賛同・ご支援頂いております。ようやくではありますが、学生・大学・地域が一体となった震災支援活動が実現されつつあります。

20日にメンバーが広島に戻った後、ワークショップと報告会を計画しております。ぜひ、みなさんにも来て頂けたらと思います。そして、より多くの広島の方々に東北の現状をお伝えできたら幸いです。

また、随時、つながりのHPにあるブログ
http://t-trip.6.ql.bz/~t-trip/tsunagari/ 
にて、現地での活動がUPされる予定になっております。ぜひご覧ください。
広大HPのトップページにも記載中です。 
http://www.hiroshima-u.ac.jp/news/show/id/11844
それでは、今後ともご支援のほど宜しくお願い致します。




<朝6時、副学長から激励の言葉を頂きました>

広島大学震災復興支援ボランティアOPERATIONつながり
高橋大海 (IDEC)

2011年9月14日水曜日

初挑戦

先日、オープンウォーターフィンスイミングの試合に出場しました。オープンウォーターフィンスイミングとは、足にフィンをつけて、自然の海や湖・川等を泳ぎ、速さを競う競技です。
日本国内では、今回参加した湘南オープンが唯一の大会です。
プールでの競技とは異なり、刻一刻と変わる状況に対応したり自らコースを選択したりすることが、魅力だと感じました今回は初めての参加ということもあり2位に終わってしまいましたが来年は優勝できるように、体力や技術を向上していきたいと思います。

高阪 将人

2011年9月7日水曜日

9月卒業の同級生

2008年の10月にここ広島大学国際協力研究科に入学しました。長いような短いような雰囲気で3年が経ちました。この3年間いろいろあったように思います。でもこの10月から後期課程の2年目がスタートします。何が足りなくて、何を目指すのか。もう遠くからでも輪郭が見えるように動かないと感じています。

研究の方は、子どもの途上国の国内外の学力調査結果を分析して、わが国も含めて各国の特徴を調べています。主に数学の調査結果について調べていますが、これまで馬場研究室が継続して調べている言語能力の影響を考慮しながらみてきています。まだまだ構想段階で、ようやく分析の視点が構築されつつあります。スピードアップして取り組みたいという状態です。

3年前に馬場研に一緒に入学したのは、もう卒業された松山さん、この6月にザンビアから帰国された高阪さんと私の3名。このときに入学した日本人はこの3名であとは留学生。同期入学のタイからの留学生のトムがいます。彼はマーケティング理論を専攻で、後期課程に入学されました。彼は無事3年で博士号を取得され、この9月にタイに帰国されます。研究の話をしたり、一緒に宮島に行ったりといろいろ思い出があります。先日彼の送別会にも参加しました。彼は研究熱心で、またいろいろ気を使ってくれます。ときどきタイ料理を一緒に食べます。僕にはちょっと辛いですが、最近は彼の作ったタイカレーにはまっています。とても美味しいです。

タイに帰国してからも、大活躍されると思います。僕の研究も形になったらぜひタイにもいこうと思います。

では、2年目に向けて一歩深く研究に励みたいと思います。

写真は、彼といった宮島と送別会で一コマです。












2011年8月31日水曜日

Fishing

8月某日釣りに行ってきました。
セメスター中はなかなか1日フリーになるということがないので、夏休みを利用してのちょっとしたバカンスといった感じです。
さて、今回釣りに行ったメンバーは私と陳さん・カーターさんで二人とも釣りは初体験だということで釣れるか心配だったのではありますが。。。沢山釣れました!!
下の写真にもあるのですが、さば・あじを中心に約40匹の大漁!!
1匹1匹は小さかったのですが、揚げておいしくいただきました。

普段はなかなかどこかへ行くということをしないので、また機会があればどこか行きたいと思います。




2011年8月8日月曜日

教員採用試験

先日、神奈川県の教員採用試験を受けてきました。
研究室の皆さんに集団討論の練習を手伝っていただいたおかげで、一次試験は合格することができました。
お忙しい中、時間を作って協力していただきありがとうございました。
現場の先生としての意見をいただくことができ、多様な観点で議論できたのがよかったのではないかと感じています。

IDECは、必ずしも教員になりたい人ばかりではないですが、困ったときには助け合うことのできる環境だと思うので、改めていいなと感じました。

教員採用試験が終わったら研究もしっかりしていこうと思います。


全国算数・数学教育研究大会に参加して

8月1,2に行われた全国算数・数学教育研究(神奈川)大会に参加してきました。久しぶりに接する教員集団に多少のなつかしさと戸惑いを覚えた次第です。

まず、なつかしさ―指導方法への熱き思い
 分科会での報告で平行四辺形であるための条件発見させるための授業の紹介がありました。教科書では定義も含めて5つが書かれていますが、それ以外にあるかどうかを構成要素の組み合わせから考えさせる授業でした。平行四辺形にならない場合の「反例」をあげるという視点で構成されていました。この報告もさることながら、その後数人の参加者が自分の授業ではこうだった、ああだったと語り合っている光景が見られました。教えることに関しては本当に熱い教師たちです。

次、戸惑い―疑問を質問できないもどかしさ
 たとえば上記の例で考えてみると、「平行四辺形であるための条件を教えることの意義は何か」質問したかったのですができませんでした。なぜなら指導内容への疑問であったからです。教師は「教科書ありき」からスタートし、その料理方法を考えます。独自の調理方法で切り方や味付けを変え、上記の場合は「反例」という教育的意義を見出しております。これに対して私の抱いた疑問は材料そのものに向かっていました。調理方法を検討している場で材料に疑問をぶつける発言はできませんでした。

まあ、どちらにしても心地よい刺激を受けて帰ってきました。

余談となりますが、閉会式のとき「岩崎○樹さま、落し物が届いておりますので・・・。」とアナウンスがありました。最後まで存在観バッチリな広島大学でした(笑)。

帰国報告

2年間のザンビアでの活動を終えて、研究室に帰ってきました。

2年前はバングラディシュからの留学生が1人だけでしたが、
現在は、中国、マラウイ、ベネズエラ、ザンビアの留学生がいて、
国際色豊かな研究室に変化したと感じました。

様々なバックグラウンドを持った人達と議論を行うことで、
今後研究を深めて行きたいと思います。

高阪

2011年7月31日日曜日

2011年前期ドクターコースゼミ終了

ただ今馬場研究室では、馬場先生、石原先生、内田研究員と学生の木根、高橋、石井、ゴンザレス、渡邊でドクターコースのゼミを進めています。今期からの試みとして、学生の中には仕事を持ちながら勉学に励まれている方がおられるので、スカイプなどを使って遠隔地からでも対話ができるような方法を取り入れながら行いました。

そこで今期の最終Dゼミが行われた後に、普段はカンボジアで活動されている高橋さんが広島に来られたこともありお酒を飲みながら議論を交わしました。懇親会では普段のゼミとは違う話もでき、皆さんの研究活動に取り残されないように、私自身の研究もどんどん深めていきたいと改めて思いました。

研究活動の中で、難しいと感じることは多々ありますが、一週間もしくは一ヵ月前から何かしら成長を感じるときがあります。こういった感覚を楽しみながら進めていきたいと思います。


渡邊耕二

2011年7月20日水曜日

全国数学教育学会から感じたこと

6月25、26日に広島大学で全国数学教育学会研究発表会が開催されました。
馬場研究室からは、石井さん、ゴンザレスさん、渡邊が発表いたしました。3人とも発表直前まで入念な準備をしておりました。日本の数学教育学の発表会で開発途上国の数学教育における研究の話をするわけなので、私たちのセッションではオーディエンスは決して多くはありませんが、活発な意見や日本の数学教育研究者から意見は、非常にシャープなものだと感じています。なぜならば、客観的な視点からの意見である場合が多いからです。

馬場研究室は、開発途上国の数学教育に関する研究に取り組む人が多いですが、その基盤となる理論や考え方は、日本のものを参考にする場合が多いです。なぜならば、わが国の教育協力への貢献を意識しているからです。二足のわらじを履くような研究スタイルですが、既存の学問に触れることは、何かの本質を追及する上でとても大切なことです。本質を見る視点や観点は人それぞれだと思います。しかしながら数学教育という以上は、数学の学問としての特性を無視することはできないでしょう。

私は、数学という学問の価値を非常に感じております。数学者は、数学には「美」があると言うことがあります。その美とは何でしょうか。おそらく学校で取り扱われる数学からその美を感じることはまずないでしょう。感じても「不思議だな~」というまでではないでしょうか。学校で扱う数学では感じることができないからといって、横に置いておいてよい感覚ではないと思います。数理的な構造の中にある「美」、これはシンメトリーな図形の美しさ、夜景や星空を見たときの感覚に近いものだと思います。数理的な構造を可視化したものがシンメトリーな図形や、一見ランダムに見える星空だと考えられるからです。では目に見えない数理的な「美」といえば、方程式の解やある関数の構造または数理的な事実の証明の中に現れてきます。

今統計学を勉強しておりますが、統計学でいう相関係数は、数学の線形代数の言葉で説明すれば、COSθでしかないのです。COSθといえば、高校数学で習う数学の関数ですが、相関係数というものに結びつきます。その証明は非常に簡単ですが、既習事項が別の概念に結びついてしまう。これは数学の威力そのものなのだなと感じます。またフェルマーの最終定理という350年間誰も証明できなかったものがあります。それは三平方の定理をa^2+b^2=c^2 を満たす自然数a,b,cは無限にありますが、途端に指数の2を3や4に変えた場合には、それを満たす自然数a,b,cは一つもないというものです。この小学生でも理解できそうな問題を証明するために、なんと350年の時間がかかりました。この定理は約20年ほど前に証明されましたが、最先端の数学が使われました。その証明の過程には、多くの日本人が貢献し、特に「全ての有理楕円曲線はモジュラーである」という谷山・志村が提示したいわゆる谷山・志村予想を解決することでなされました。そこには、一点の曇りもない途方もない理論が積み重なり、誰にでも理解できそうな単純な数理現象が証明されました。また別の問題で一見ランダムに何の規則性もなく現れると思われる「素数」の並びには、実は合理的で完璧な規則性を有するのでないかという予想があります。リーマン予想と呼ばれますが、現代物理学と結びつく非常にパワーを持つものだとされています。

このように数学には、問題そのものや問題の対象は、学校数学で触れるものであるが、壮大な歴史と未来への期待を秘めているものがあります。実用性が重視される現代の数学教育の中で、数学的な美的感覚を養うことは、一つの数学教育学の課題になるのではないだろうか。

数学なんてなぜ勉強するの?とよく生徒はいう。私はある意味では数学に触れる、学ぶことは、部活動と似ていると思います。例えば、野球部に所属しているからプロ野球選手になるわけではありません。しかしプロ野球選手にならないからといって、高校野球で燃え尽きるまで打ち込むことに意味がないとは思いません。体力がついて警察や自衛隊を目指す、チームワークが身について別の組織でやっていく、集中力が身について一流の科学者になるかもしれない。数学をすることもこれに近いものだと感じています。

数学そのものは教育的でない、という感じることもありますが、開発途上国で数学教育を論じる場合には、計算問題しか扱わないなど言われることがあります。確かにそれだけでは物足りない感じはしますが、計算が速く正確に行えること、さらに計算問題に打ち込んだ経験があること、これらそのものに教育的価値があると思います。日本とは異なり、計算問題、機械的な授業が多くみられる途上国では、その中から子どもたちが何を学んでいるかをプロ野球選手にならないけど野球部でとにかくやり遂げるといった観点から分析することが、数学教育開発の課題になり得るのではないかと考えています。

数学をする意味、途上国にみられる難しい計算や大半を占める機械的な授業から得られるものの本質を見極めたいと思います。


渡邊耕二

2011年7月1日金曜日

海外の算数教科書~アフリカの教科書事情とそれを取り巻く事情~

アフリカと言っても53か国あり、北はアラブ諸国から、南は温帯の国までその多様性はほかの大陸以上と言えるだろう。ここではザンビア、ガーナという地理的には離れているが、英国の植民地化を経験した国々を例として、描写していきたい。
 アフリカと聞いて、まず何が思い浮かぶだろうか。飢餓、貧困、内戦、もしくはアウトドア派の人ならば、サバンナ、マサイ族、野生動物などであろうか。両者ともに、アフリカの一面を物語っていることは間違いない。ただし、都市にはやはりビルが立ち並び、数百万人の単位で住人が住む。もちろん多数は農村部で生活し、そのような中では電気水道などが来ていない村も存在する。
 1960年がアフリカの年と呼ばれることをご存じだろうか。この年に多くのアフリカ諸国が独立したためであるが、それから数えれば来年がちょうど50歳である。人間の一生とは単純な比較はできないのかもしれないけれども、アフリカ諸国は半世紀の間に様々な経験を重ねてきた。

○教育事情:多数の問題を抱える
 現在アフリカ諸国は、上に挙げたような困難を抱えている。また教育に限定しても、高い中途退学率などの量的問題に加えて、教室内で行われる教育の質的問題がある。もちろん後者の質を左右するのが、教員である。その他にも重要な問題として、教授言語(旧宗主国の言語)の影響は見逃せない。子どもたちにとって日常使う言語ではない英語、仏語、その他言語による学習は、ただでさえ難しい内容をより難しくする要素といえる。

○教員か教科書か?
 このような問題が多様・多数存在する中で教育改善を行うために、教員の質を高めるのか良質の教材を配布するのかという議論を聞くことがある。もちろん両者は一体化して初めて意味を持つのであろう。しかし、アフリカの現状を見るとき、資金や人材が限られている中で、両者を一気に解決していくのは易しいことではない。その時にこのような提案が出てくるのは自然かもしれない。
 教材配布の提案は大きくいえば、ティーチャー・プルーフ・カリキュラムの考え方に基づいている。それは教員の力量によらず、特定のカリキュラムや教材を使うことで、均一のそして良質の教育が行えるという発想である。プログラム学習はそこから来ている。ところが1973年OECD教育革新センターのセミナーで指摘されたとおり、世界的にはこのような考え方は古いものとなりつつある。

○教科書の量と質
アフリカの教育はこのような背景を持っている。その中で、教科書について語るとき、その量的側面と質的側面の両方から語られるべきであろう。前者は援助国・機関が配布を支援することによって、時には大量に印刷配布され、一時的に多く出回る。とは言え多くの場合には全ての生徒に教科書が行き渡ることはない。さらに、質的な側面がこれに絡んでくる。公的な機関が責任を持って良質のものを安価に作成し、全国に配布することが理想だろう。しかし、現状はそれとは反対の方向に進んでいる。「公的な機関が能率悪く粗悪品を作っている」という理由で、教科書産業に市場原理を取り入れ、改革(政策策定ザンビア1996年、ガーナ1998年であるが、実施は4から5年後)が進められてきた。結果は、教科書の質は上がったのかもしれないが、ザンビアでは教科書が一冊1000円前後もする結果となって、教室の中で教科書を有する子どもはほとんどいない。この動向には、多国籍教科書企業(マクミラン、オクスフォード大学出版など)がいるかも知れず、問題の解決は一筋縄ではいかない。

○教科書の内容
 次に教科書の内容について幾つかの特徴を挙げたい。

*集合
 現代化の影響の中で代表的なものが集合である。アフリカ諸国も1960・70年代に影響を受けた。国による差異はあるものの、いまだにその影響は残っている。ある意味では、各国が自主的な判断をしていると言えるかもしれない。ザンビアでは集合という言葉がそのまま使われている。ガーナではグループ分けを通して、数の抽象性を感じさせる方向性は理解できるが、色や形状が違うものを扱うために、かえって混乱を招く可能性も見える。
*スパイラル・メソッドと数の取り扱い
 複数年に渡り繰り返して学習するスパイラル・メソッドが、教科書の大きな特徴である。極端な話、各学年に現れる単元名はほぼ同じで、内容が少しずつ難しくなっている。
 例えば日本の場合は、三桁まで丁寧に扱い、その中で数の規則を意識させ、4年生の内に一気に兆の位まで学習する。それに対して、たとえばザンビアでは6年生まで、百の位(2年生)、千の位(3,4年生)、万の位(5年生)、百万の位(6年生)のように、非常に丁寧にゆっくりと進めて行く。
*量の取り扱い
 線分図そして数直線は日本の算数教育にとって、離散量から連続量への展開を図る上で重要な役割を果たしている。それに対し、これらの国では乗除や分数などで補助的な役割を果たしたり、長さを示したりすることはあっても、一貫して取り扱われていない。
*図形の取り扱い
 図形は内容量が少ない。さらに内容そのものも焦点がやや不明確である。特に、ザンビアではその傾向が強い。2年生で形を少し学ぶ他、面積は意識させるものの図形は出てこない、形の名称を覚えるだけになってしまっている部分もある。
*日常場面の取り扱い
 良い点も取り上げたい。日常場面や応用がかなり意識されているように思える。ものの売買や測定などの日常的な場面を通して、数学を習得していく姿勢は注目に値するであろう。

○今後の展望
 アフリカの教科書事情を見てきた。そこでは諸問題、その背景にある社会的条件や援助国・機関の影響などが分かった。それらを乗り越えていくために、単純に「教員か、教科書か」について議論するだけでは済まないだろう。教材・教科書作りを通して教員の力をつけて行くこと、教員の経験を生かして教科書をつくることのように、その両者の融合した解決が求められる。現実の子どもや教員・学校の実態が反映された教師による教師のための教科書開発が必要になる。そこでは、各文化・社会が持つ固有の民族数学の応用がますます注目されるべきだろう。
50歳を目前にアフリカ諸国が今後中進国の仲間入りを政策に掲げている。そのために、教育の充実は急務と言える。アフリカのスポーツ選手の躍動感のように、近い将来躍動感を持つアフリカ社会を見たいものである。

2011年6月23日木曜日

◇過去の記憶とスコール◇

以前フィリピンの離島に滞在していた時に使っていたノートから、
必要な情報を抜き出していたら、ある一節を見つけた。

「それにしても、日本での私たちの暮らしを振り返ると、豊かな暮らしを享受しているはずの私たちが、まだ起こるとも起こらないともわからない漠然とした将来の不幸に対する不安から、‘生’が実践されている今という時を、ほとんどその保障のためにあてがっていることに気づく。私はあの男の人のさわやかな表情をいつまでも心に留めておきたいものだと思った。」(インドの樹、ベンガルの大地より)

南の国の人特有の緩慢なうごきと、からっとした笑みを何ともなく見ていると、
かなり前にインドで描写された一節に、再び息が吹き込まれたように感じる。

何かとやることが多かった日本から抜け出し、
熱帯の湿気に包まれてスコールを眺めていると、同じ世界でも場所によって時間の
流れ方がずいぶん違うのだなあと思ったりする。
 
雨季の入り口にさしかかっているルソンより。
Taikai Takahashi

2011年6月14日火曜日

深い~い話


先日、なるほど・すごいな・やっぱりな、と思う話を飛行機の中のラジオでききました。
それは王貞治氏が、インタビューに答えている場面でした。王さんはイチローの凄さをを語っていました。
「彼はある意味僕と似ていて、どんな記録を打ち立てようとも達成感というものを感じないんですね。」
「僕はいつも子どもたちに野球がうまくなるにはどうすればいいか聞かれるのですが、いつも答えるのはとても単純なことなんです。毎日練習をし毎回努力すること、これが大事だとね。イチローも同じことをやってきたんだとね。子どもたちにとってあまりインパクトのある話ではないですが・・。」
これを聞いて思ったことは、凄い人だからこそ人の凄さがわかる、ということです。凄くない私などは、イチローはいつも冷静沈着、自分をコントロールできる人だなあ、くらいにしか感じていなかったけれども、王さんは違っていました。「達成感を感じない」なんて、なるほどな・すごいな、やっぱり王さんだな、とつくづく思いました。

On the airplane from Tokyo to Hiroshima yesterday, listening
to the radio, I heard the soft voice. That was Oh Sadaharu’s. He is the one of the famous baseball players in the world.

When I was a child, he used to be a hero that made a world record, 756 home runs. I clearly remember the scene he hit the home run, because it happened on the day of summer festival of my tiny village during summer holiday.

In the program on the radio, he answered the interview, “In a since Ichiro is similar to me because he has never felt a sense of accomplishment whatever he has made some records.”, and he continued “I always advised children that the most important thing to improve your skills was just practicing baseball every day and making an effort every time. Ichiro dose the same. The only thing he has done is practicing continuously and strictly. The advice I made does not give an impact to them but very important.”

To my impression, a great person knows what “a great” is. I thought Ichiro is a person who has a character of self-possessed and can put himself under the control. In a contrary, Mr. Oh Sadaharu focuses on a sense of accomplishment as a factor of Ichiro’s success. It is a deep insight that the person who did the same things could say.

2011年6月2日木曜日

最近のデジカメ事情

最近のデジタルカメラの流行といえば・・・

裏面照射型CMOSセンサー!!

さて、この裏面照射型CMOSセンサーとはいったい何なのかを大雑把に説明します。
基本的にカメラのセンサーには大きく分けてCCDとCMOSという2種類のセンサーがあります。
少し前までのセンサーは大体がCCD。基本的にCCDの方がCMOSよりもきれいに撮れるってことでデジタルカメラは大体がCCDでした。

しかし、裏面照射型CMOSセンサー搭載モデルはCCD搭載モデルに比べて「高感度」、「ノイズが少ない」、「ダイナミックレンジが広い」等の特徴を持ち、「暗いところでもよく撮れるカメラ」として最近では定着しているのです。
さてその仕組みはといいますと、従来のCMOSセンサーはどうしても光を受ける面の上に配線がかぶさるような仕組みになっていて光を全部受け切れなかったのに対して、裏面照射型CMOSセンサーはこの配線と光を受ける面を逆にすることによって光をより受けることが出来るようになったのです。これが暗闇でも強い理由です。


どうしても暗い場所での撮影になってしまう学会発表・・・うまく撮影できなかったことは無いでしょうか?

そんな皆さん、ぜひこの裏面照射型CMOSデジカメをお試しください。

2011年5月11日水曜日

震災から2カ月

私たちの日本に深刻な影響をもたらした、3.11の未曾有の災害から2カ月が経つ。全世界、日本全国、広島大学内も含め、これほど復興支援のムーブメントが大きな波となって拡がることは、過去になかったのではないだろうか。それだけ、この復興と人々の精神的ダメージの回復には膨大な時間を要するだろうことが、その裏側にはある。
 東北の知人や、現地に入った人の思いを聞くと、ある共通したことが含まれていることに気付いた。それは、これだけ甚大な被害を受け、身も心も大きな疲労に包まれているたくさんの人がいる中で、しかし、圧倒的大多数の人は、震災の前も後も変わらぬ生活を続けているという事実であり、被災した土地からそうでない土地へ移動したときに、その世界の違いに驚くというものだ。あるいは、被災地の中でも瓦礫のすぐそばには坦々とした人々の日常の営みがそこに在り、外から入った者はその光景の中にある、凄まじい現実と、人々の変わらぬ日常の営みという二つのもの混在に、ある種のギャプを感じる。でもそれは、被災地の人が、現実を受け入れ(そうではない人もいる)、力強く復興の根を大地に下ろし始めているサインなのかとも思う。
 また、その世界の違いというものは、私たちが遠く離れた被災地が、今はどうなっているのかという想像力を働かせるときに、それを難しくしている要因であるようにも思う。実際に見えないもの、思いを想像することは簡単ではない。ましてや、あれから2カ月が経った。人々の関心は時間の経過に反比例していくものだ。この遠く離れた土地でできる数少ないことの一つは、思いを風化させないことだ。被災地への人々の関心を、細く長く繋げていくことなのだと思う。震災から2カ月という今日、ここに思いを投稿させて頂いたのも、自分を含めた人々の思いを風化させたくないという、一つの戒めであるかもしれない。


かつて集落のあった場所(相馬市)

2011年4月29日金曜日

アフリカ教育研究フォーラム

先日、神戸大学にてアフリカ教育研究フォーラムに参加してきました。
ザンビアから帰ってきて、3ヶ月ということで、できれば自分自身発表もしたいと
思っていたのですが、準備等が間に合いそうになかったので、今回は見送りまし
たが、次回は発表に挑戦したいと思っています。
このフォーラムの特徴は研究発表がもちろんメインなのですが、それ以外にも研
究の進捗も発表して、ほかの人たちの意見をいただくことができるので研究の過
程も勉強できるという、非常に面白いシステムになっています。さらに今回はお
茶ノ水女子大学の内海先生が退官されるということで、発表とは別に「先生のこれま
で人生」みたいな話もあり、2日間とても多くの知的な刺激を受けて帰ることがで
きました。

研究は発表する時間よりもはるかに長い時間をかけて準備します。その膨大な内
容をプレゼンテーションのその刹那に理解してもらうというのは非常に難しいこ
とで、表現の方法なども工夫しないといけないという独特の難しさがあるように
思います。

今回は、われらが石井さん(D1)が優秀発表賞を受賞し、「研究の励みになる」
と語っていました。
是非、自分もいい発表ができるように、これから研究もがんばっていきたいと思
います。

2011年4月6日水曜日

どうもありがとうございました。

少し遅れましたが横浜から澁谷です。 馬場研の皆様、送別会どうもありがとうございました。 2005年から在籍し、早6年。私はザンビアに長期滞在していたこともあり、通算3年くらいしか物理的に研究室にはいなかったのですが、ほとんど家と化した便利のいい机、その周辺を片付けて引越しするのはとても不思議な感じでした。 修了式後、いくつかのミーティングがあり新しい同僚の先生方にもお会いしました。研究室にも入り、相部屋の先生ともご挨拶しました。自分のまわりにあるものは、見慣れたものですが、環境が変わるとまた違ったように見えてきます。 博士論文を書き終えた後は心にポッカリと穴が空いていましたが、また少しずつ自分にやれるテーマや残された課題に取り組もうという気持ちがわいてきました。みなさんの研究の話もよい刺激になると思いますので、また出会った際には色々とお話を聞かせてください。 馬場先生、馬場研のみなさんには言葉に表現できない程お世話になりましたことを、心より御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

Dear all Thank you so much for your encouragement, support, and cooperation you have given me. I have learned so so so--- many things that I even can not write here. I am now in Yokohama, preparing for my new job. I feel a little anxious, because the environment around me has completely changed. How could I quickly get used to be called 'Sensei' after being a student for a quite long time? At the same time, I feel excited so much, because now I can investigate more what I can/should do in terms of research and teaching in university. Anyway, I hope all of you will conduct interesting research in our lab and I am looking forward to reading your paper in the near future. I miss you all and thank you very much for the last few years. Yours, Nagisa Shibuya(Nakawa)

2011年3月31日木曜日

Study on Teaching Strategies and Pupils’ Cognitive Skill in Primary Mathematics in Niger State, Nigeria

I am Fatima Jella Sulaiman (Manu) by name. I am from Nigeria a master’s student year one under the supervision of Baba sensei (Professor Baba TAKUYA). Baba’s lab is International lab comprises student from in and outside Japan with spirit of assisting where necessary and cooperation.
My area of interest is teaching strategies, cognitive skill of pupils, and mathematics. The purpose of my research is to find the characteristics of strategies employed by mathematics teachers and pupils’ cognitive skill in primary level, and find out what strategies are generally used in teaching and learning of mathematics and, how the strategies employed by the teacher affect pupils’ cognitive skill.

2011年3月20日日曜日

日本国憲法

今タームは教員免許取得のために色々な単位を学部で取っています。今回はその中の一つで先日試験のあった日本国憲法について書きたいと思います。今まで日本国憲法に触れてきたのはせいぜい中学校の社会で少し触れたくらいで、もう正直全然知らないのですが、今回のテストを通して色々初耳なことがありました。簡単なところで言うと日本国憲法って国民を縛るというか国民の為のものだとずっと思っていたのですけど実は違うのですね。まぁ色々あるのでそういった意味もあるのかもしれないですが、基本的に日本国憲法は国の統治者や権力者に向けてのものみたいです。憲法ができたのは国を治める権力者がどうすればいいかということを文章にしたもので国民向けじゃないのだそうです。
日本国憲法のような科目は今まで触れたこともない全く新しいことだったので、分からないながらも意外と新鮮でした。ただ、行政とか国会とかもう基本的なことから???という感じでした。一応有権者の国民としては、簡単にでも国会とか内閣とか知っておいたほうがいいな~と改めて思わされました。また、この授業に関連して裁判所なるものを生まれて初めて傍聴したのですが、あれはなかなか面白いです。何の知識もない人間ですが検察官と弁護士のやりとりや、求刑がどうなるとか傍聴好きの人の気持ちが少しわかりました。
とまぁ色々な授業を受けるということは大学院としてはどうかとも思いますが一般常識に欠けている私にはなかなか新鮮で面白いものでもあります。また、国際協力に携わるにしても日本のことを知ることはとても有意義なことだと思います。

2011年3月10日木曜日

年度末

時間が過ぎるのは早いもので、もう3月の中旬に突入する頃となった。

来月には、何人かの研究室をともにした友が卒業する。寂しさを感じる反面、これから彼らはそれぞれの道を進んでいくのだから、応援するべきであろう。

国際協力に身を置く人は、おそらく出会いと別れをそれなりの回数重ねていると思う。僕も思い出せば、野球をやっていたときのチームメイト、数学の研究をしていた頃に教育とは、数学とは何か?といったことに思いきり語り合った仲間、隊員時代にともにエクアドルの地で過ごした隊員たち、そして一緒に働いたキト市役所の同僚たち。そして今ここIDECに集う新たな出会い。

お別れといえば、卒業式が頭に浮かぶ。
高校に勤務しているときに、ある先生が残した卒業生へのメッセージが今でも心に残っている。

「世界は広い。けど、体は一つ。いつ、どこで、誰と、どのように過ごしますか?」

英語にするこんな感じだろうか。

“The world is big and wide. But we are only one. When, where, with whom and how do you live?”

この言葉は、もちろん自分自身にも当てはまる。いろいろなことを共有しながら、いい時間を過ごしたいとより思う今日この頃である。


写真は、夜に研究室にいたメンバーとのひとときです。

2011年2月24日木曜日

バックパッカ―(BPK)教師になる

開発途上国で教育協力に関わっていくときに、自分の中の教師としてのイデオロギーを形作っているものは、紛れもなく日本での教師経験である気がする。途上国の教室で生徒や教師に何かを伝えようとしているときは、自然と日本での教室でやってきたことをなぞっている。それだけ、日本での教科教育や学級経営、生徒指導の経験は、教育協力の現場で規範(Norm)となり得る。それをその国へ適用(apply)できるかは別だが。
 2004年春、私はインドから帰り、バックパックの荷も解ききらないまま、福島県の県立高校の教壇に立った。丸坊主で日焼けし、ネクタイが妙に浮いている青臭い教師を、当時の生徒たちは驚きと好奇の眼差しで迎えてくれた。変な奴が来たなあという感じだ。彼らとの年齢差は5歳しか離れていなかった。ほとんど感覚だけで毎日の授業に向かっていた。でも驚くべきは彼らの好奇心だ。今どきの高校生がここまで純粋に反応してくれるのかと驚いた。
 一方で、制服のスカートが限りなく短い金髪の生徒もいた。授業中は机の上にたくさんの辞書を積み上げ壁を作り外界と自分を遮断するかのようだ。教科書やプリント類がただ机の上に散乱し、茫然として視点の定まらない生徒もいた。突っ張った男子生徒とは、座る位置が少し違うというだけで押し問答になりぶつかった。今から思えば途上国の教室では到底見ることのないような光景ばかりだったが、それでもみな概して明るく素直だったと思う。
 教育現場は閉鎖的だ。最近は特に生徒のプライバシーやら何やらで、学校内の出来ごことが公になることは非常に少ない。ましてや教室内の事となると、皆無だ。それは日本独自の風土と風習が関係しており、身内、内側の恥(恥ではないのだが)はできるだけ隠して出さないというものだ。もし世間の人々が日々教室の中で起こっていることを知ったとしたら、これは大ごとだ。あるいは案外その年齢の子供を持つ親はそれを知っていて、当たり前だと思っているのだろうか。さらに閉鎖的なことを増幅させる要因は、教員の同質性である。大抵の教員はその生い立ちで、比較的恵まれた家庭で育ち、成績もよく教育学部を出てストレートで学校に入り何十年・・ということが多い。今、複雑化する家庭環境を背負う難しい子供を相手しなければならなくなった教員は、いったい自分のどの段階の経験を駆使するのか?授業崩壊、学級崩壊、対教師暴力・・・。
 BPKの教師は浮いた。閉鎖的で同質的な学校社会の中では、生徒にとって異色だったに違いない。私は理科の授業の合間に、「死の授業」というのをした。教師として伝えるべきことは何も教科のことである必要はないという持論のもと、今思えばとてもキワドい授業をしていた。簡単に言えば、身の回りから死というものが隠されるようになったことを、みなで考えるために、インドで見たことをそのまま生徒にぶつけてみるというものだ。その時には様々な生徒からの意見が溢れ、概ねやってよかったと思えたが、後に他の学校でやったときに同僚教員に、「思想的なことを生徒に話すのは危険だ」という意見を頂いた。それはごもっともだったが、私は生徒に一つでも多くの種類の考え方、生き方を見せて、考え選んでもらうことが教師に出来る数少ない仕事の一つではないかとも思う。
 今の子供たちは、気付かないうちに閉鎖的な学校に対して拒絶感を示している。保守的な社会のレール(規範)を見せつける教師も必要ではあるが、いまやそれだけでは彼らは心を開かない。BPKや協力隊経験者など、異質な存在が学校現場に少しでもいてくれることが、子供にとっては大きな心のマージンとして作用していくのではないだろうか。
                                                 (BPK Taikai, T.)
(Nikon F100, color)

2011年2月15日火曜日

バックパッカ―(BPK)のモンゴル (#1)

ここIDECにはモンゴル人は少ないが、もっとモンゴル人と接する機会があればいいと思う。というのも彼らはアジア人の中でも、もはやアジア人の枠を超えている。それは大相撲の上位力士にモンゴル人が多いのと関係しているのかもしれない。彼らは屈強で懐が深い。
 2007年の春、北京から国際列車でウランバートル(UB)を目指していた。同じ1本の列車で国境を超えるというのは、これまでの国境越の中ではなかった。おそらく色々な部分で異なる中国とモンゴルを果たして列車1本で越えられるのだろうか。大気の霞む中国の田舎の風景を横目に流しながら、夕暮れには国境の町に到達し、列車は丸ごと大きな車庫に入った。車内では人民服を着たイミグレの職員が旅行者のパスポートを、テストの答案を回収するかのように一人一人の手から奪っていった。列車はジャッキアップされ車輪を全て大きいものに取り換えた。中国とモンゴルでは線路の幅が異なるからだ。効率が良いのか悪いのか、社会主義国から旧社会主義国へ渡るのに、何か腹の中がむずがゆくなるのを感じた。
 朝目覚めると、口の中でじゃりっという感触があった。車内は粉塵で霞んでいた。窓から外を覗くとそこは砂漠だった。ゴビ砂漠だ。地の果てまで何も見当たらないような草と礫の荒野を線路が一本だけ延びており、そこを我々は走っている。人の渦から来た旅人には、そこはホワイトアウトしそうなくらい何もなく広かった。
 ウランバートル(UB)はもうアジアではなかった。なぜか行ったことも無いロシアの匂いを感じた。人の顔立ち、看板の文字、殺風景な街並み、そして湿度の低さ、どれも今までのアジアでは嗅いだことのなかったものだ。私はいきなりそこで、スリ(強盗)に襲われた。UBはアジアでは有数の危険都市。バックパックを背負いタクシーに乗り込もうとしたとき、不意に男が目の前に立ち塞がった。なんだこいつ、邪魔するなと思った瞬間、ポケットに収められていた財布のチェーンがまさにもう一人の男によって切られたところだった。男は背を返し走り出し、私はバックパックをタクシーに放り込んで、後を追った。絶え間ない車の流れにぶち当たり立ち止った男の足に、私はしがみつき何かを叫んだ。次の瞬間、オレンジ色の財布が頭のはるか上の宙を舞った。晴れ渡った青い空に、オレンジ色の財布はスローモーションで向こうの方へ動いていった。ああ、やられた、誰かが道の向こう側でキャッチする手はずか・・。財布は意に反して道のど真ん中に落ちた。車が絶え間なく走っていたはずなのに、その瞬間、財布へ向けて一本の道ができた。私は二度と帰ってくるはずのなかった財布を手にした。
 そんなふうな旅の始まりだったが、モンゴルはすごかった。おそらくアジアで最もBPK泣かせの国の一つだ。首都から離れると、公共の交通機関がなくなる。ある町では、乗合いバンのなかで客が集まるのを朝から晩まで待ち続けた。その間に酔っ払いが乗り込んで絡んできた。そのうち他の乗客と喧嘩になりその男は流血、ティッシュで拭いてやった。腹が減って食道へ行くと、大の男どもが昼間っから小さなテーブルを囲んでアリヒという安いロシア製のヴォッカを回し飲みしている。すぐに見つかりなぜか回ってきたそれを一気に飲み干した。ここはアル中天国だ。
 私は人力・動力に頼る移動は止め、真剣に馬を買ってこの国を周ろうかと考えたが、オオカミが出るから止めた方がいいと言われ断念。そうか、まだオオカミがいるのか・・。まだ見ぬ果てもなく広がるチンギス・ハーンの大地を思った(つづく)。
                          (BPK Taikai, T.)

(Nikon F100, color)

2011年2月7日月曜日

バックパッカー(BPK)の中国 (#1)

最近、なにかと中国の話題が多くなってきた。衣・食・住、どんな場面でもどこかでChinaという文字が躍る。ここIDECでも中国の話題は絶えない。私たちの中国観はこの先どうなっていくのだろうか。少しバックパッカー(BPK)時代の体験を振り返ってみたい。
 BPKとして2007年に中国に入った。奇しくもその年の5月以降、チベット自治区への外国人の立ち入りが大きく制限され始める。インドやアジア地域を旅するBPKにとってチベットは天上の秘境であり、憧れの聖地だ。自治区内の標高は4000mを超え、岩と砂の砂漠が果てもなくシルクロードに伸びている。ほとんどの地域が当局によって渡航禁止区域とされており、公共の交通手段もない。BPKは何千キロもの荒野をヒッチハイクしながら、中国人に化け息を殺しながら旅する。世界で一番青い(藍色)とされる空を天に仰ぎながら。
 中国と一言で言っても、そこを訪れて最初に気付かされることは、中国という国は存在しないということだ。ざっと見渡しても、北の朝鮮民族エリア、モンゴル族エリア、西の新疆ウイグル(ムスリム)系エリア、チベット族エリア、南の雲南山岳民族エリアなど漢民族と全く文化を異にするグループが多数存在し国土面積としても大きな部分を占めている。これらの民族はマイノリティとされているが、それは漢民族と比べた上での話であって、実際には一国として存在していてもおかしくない規模と独自性を誇っている。当局(漢民族)が最も恐れているのは、それらの民族が独立するために蜂起することだ。
 当時、高校の教員をしていた私は、その辞令期限の最終日3月31日に、大阪の南港から蘇州号という船で上海へ向かった。BPKに戻ったわけだ。これまでアジア全域を渡り歩いてきたが、私は一瞬で中国に魅了された。まず英語が全く通じない。日本の比ではない。ハローすら知らないのかというくらい、一応は世界のマルチ言語としての英語を屁にも思っていない。これはえらいことになってきたという、久々の不安と焦りとまだ見ぬものへのスリル感が脳ミソを揺すった。
中国の魅力は、一言でいうと、漢民族の愛想のなさ(裏表のなさ)と、多民族性である。漢民族は愛想笑いをしない。他人(こちら)に興味がない。おそらく日本人が中国人に似ているということはあるが、BPKとわかっても身構えたりしない。ただ、一度話しだしたり、接点ができたりすると、猛烈に優しくなる。とにかく人口が多いので、漢民族の森をかき分けて、私は北のモンゴル民族エリアに抜け、そこからムスリムの蘭州を抜けチベット自治区の縁にそって甘粛省、四川省のチベットエリアを南下した。つまり、北方遊牧民族チンギス・ハーンの末裔が営むトナカイ遊牧のゲル(家)でバター茶をすすり、白い四角の帽子を被ったムスリムが出す羊の塩ゆでに卒倒しそうになり、チベット寺院ゴンパの周りを巡礼者と一緒に経を唱え数珠を練りながら歩き続け、そして漢民族の作る四川風麻婆豆腐に帰りついた、ということになる。中国という国をある線で北から南に縦に切ると、その切断面はこれほどまでに多彩で豊かな文化色を放っていた。
これほどまでに多彩な文化の塊を一つの国として維持していくのはどれほど大変なのだろうか。いや、無理があるのかなとも思う。
 どれほど列車やバスを乗り継いで、山間の村に入っても、インターネット屋の看板を見つけることはそれほど難しくはない。携帯電話はもはや山奥の僧院の修行僧ですら片手に持ちながら、話歩いている。村には近代化されるよりも先に、世界中からの情報の波が人々の意思に関わらず入り込んでいる。その頭でっかちな歪な構造は、この先、まだ未開発の土地に住む人々の生活にどのように影響するのだろうか。多民族国家を力で抑えつけている中国という集合体の内部に、この情報の大きな波は徐々に波及し始めている。
(BPK Taikai, T.)

(Rollei 35T black & white)

2011年2月3日木曜日

全国数学教育学会

先日,愛媛大学で行われた全国数学教育学会に参加しました。自分の発表を通して得るものもありましたが,様々な方の研究発表を聞くことで,多くのことを考えるきっかけとなりました。中でも研究者と現職教師が共同で発表したセッションは,非常に興味深いものでした。教育における「理論」と「実践」の議論は,自分としても常に意識している点だったからです。

「理論」を現場の教師が深く理解すること,「実践」を教育研究者が真摯に受け止めること,その両者の歩み寄りが「理論」と「実践」の乖離を埋める一手立てになると考えます。しかし,理論と実践を結合させることが最終目的ではないはずです。発表の中で疑問に感じたことは,「如何にして教師が理論を用いるか」「如何にして理論を実践に生かせるか」ということに捉われすぎていた点でした。

他方で自分の関心は,教室内で生起した事象を如何にして理論化できるかという点にあります。ただし,大学でも現場の実践を理論化する研究が進められていますが,現場での実践を集約し、別の視点から捉え直して一般化しただけの理論に終始している研究が多いことも否めません。これでは,現場の教師に見向きもされないのは当然であろうと思います。ここで、教育研究の意義とは何か?ということを考えさせられます。

自分の今の見解は,研究は理論化することによってその役目を終えるのではなく,現場に対して新たな提案をしていく必要性が少なからずあるだろうという点です。そういった意味で,教師が創造的な授業実践を日々行っている現実を考えると,教育研究者にはそれを超える,より高度な創造力・思考力が求められているのだろうと言えます。教師の能力についてはよく議論されますが,今後は研究者の能力についても問われていくのではないかと思います。

松山と言えば道後温泉。歴史ある温泉に浸かりながら,理論と実践についてほんの少しだけ考えてみました。

2011年1月26日水曜日

年末年始

今年2011年が始まってもう一カ月過ぎようとしています。
私の年末年始をブログしたいと思います。

私は11月29日から1月20までザンビア教育省にある試験局にインターン学生として研修をしてきました。2009年の8、9月とインターンとして訪れたので、今回は二回目の訪問となります。そのおかげで年末年始をザンビアで過ごすことになりました。ザンビアには広島大学のザンビアプログラムに参加する学生もいて、彼らとも久しぶりに会いとても刺激を受けました。

ザンビアの年末年始といっても、今年は週末だったこともあり、普段の週末のような感じでした。私はビールが好きなので、ザンビアビールを片手に、自分で作ったパスタを食べながら年越ししました。今年そばならぬ年越しパスタです。

活動は自分の実力のなさを感じながらも、前に進めたように思っています。今後はその活動をさらに充実させて、自分の勉強のほうもしっかりいいものにしたいと思います。

帰国のときには、盛大なお別れパーティーを開いてくれてものすごく感動しました。同僚のビューティフルレディーとケーキ入刀しちゃいました^^。とてもいい思い出とともに、今後の研究活動にも気合が入りました。

2011年1月15日土曜日

授業の1コマ

先生:1000円の10割はいくら?
生徒:100円です!

これは、中学2年生の塾での授業の1コマです。連立方程式の文章問題「男子○%と女子○%が虫歯をもっていて、合計○%でした。・・・」を解いている最中、割合がわからないということで、小学校レベルにもどって説明していた時の様子です。

 割合は、生活上なじみのあるものであるはずなのに理解に乏しいのはなぜだろうかーその理由の一つとして割合分数の考え方が定着していないことがあると考えています。そこで再び中2で、「○%は全体を100個に分けたうちの○個をあらわす・・・」と図入りで説明します。
 しかし今回は少し変化を加えてみました。というのも、概念形成の手段としての言葉の使用、特に生徒の感覚に結び付いた言葉の使用が大切であると思うようになったからです。そこで意識的に「言葉」を以下のように使ってみました。
 
先生:部活の先生に「試合で100%の力をだしなさい」と言われたら、みんなはどのくらいの力を出すの?
生徒:自分の力、全部。
先生:そう「全部」だよね。
   100%は「全部」ということなんだよ。割は10割が「全部」なのよ。

というわけで「全部」という言葉と実感を意図的に取り入れてみました。

以下はその後の脱線した授業です。
生徒:先生、なんで2つ(%と割)もあるの?1つでいいのに・・。
先生:みんなは、どっちがいいの?
生徒:%!
先生:へえ、でも上毛かるたの「わ」は何だっけ?
生徒:わさんのたいか、せきこうわ
先生:そう、和算。割は和算からきているのよ。ちょうど社会で明治維新をやっているから説明するけど・・・(説明つづく)。
「二八そば」とかあるでしょう?
生徒:「七三分け」とかもあるね(笑)

One section of a math lesson

Teacher: “How much is 10-wari of 1000yen? (In Japanese the relative value of 0.1 is called “1-wari”)
Student: 100yen!

This is a one section of a math lesson I taught to Year 8. As we were solving simultaneous equation, some students asked me to explain the meaning of percentage and Wari. So I started explaining from a basic level.

Why is relative value difficult to understand for students even though it is often used in our lives? I think one of the reasons is lack of understanding about the meaning of a fraction as a relative value. Therefore I usually started to explain as follows with a diagram.
“ Firstly you divide everything into 100 pieces and finding 60% means 60 pieces out of 100 pieces.”

But now I have tried to change my teaching, because I realized using words which are related to students’ feeling in their real lives is very important to build conception. Therefore I used specific words on purpose like “all”.

T: How much amount of your power do you use when coach tells you to use 100% of your power?
S: All. All of our power.
T: Yes, it’s all, so 100% means “all”. 10-wari means “all” too.

This shows how I intentionally took the word “all” and a situation which relates to life.

S: Why do we use two types of relative value, % and wari? I think it’s enough to use one .
T: Which one do you prefer?
S: %
T: Well, do you know JOMO Card? Can you tell the WA card?
S: “ Wasan no taika SEKI KOUWA” (It means KOUWA SEKI is one of the greatest mathematician. Wasan means Japanese math.)
T: Yes. Wari comes from Wasan, Japanese math. At the beginning of Meiji era we imported・・・(I explained the history.) Do you know “ NIHACHI soba?”(NIHACHI means 2:8)
S: Do you know “SHICHISANWAKE” ( It is a traditional Japanese man’s hair style parted into 7:3. SHICHI: SAN means 7:3.)
T&S: (laughing)