2008年2月23日土曜日

ザンビア到着リポート

1月8日からザンビアプログラムのため2年間協力隊員活動をすることになりました。

ザンビアに着くのはとっても楽しみで、飛行機の窓から地面が見えてるのに早く着地したくてうずうずし、ウホウホと到着しました。 私は2001年12月から2003年12月まで、ザンビアで理数科教師として協力隊員活動をしていました。今回は2度目の協力隊、しかも同国同職種ということで、恐らく協力隊史上初のケースでしょう。よく「国が同じだから勝手もわかって楽でしょ?」と聞かれます。ザンビアは多民族国家で、73もの部族があります。

以前は東部州のペタウケにある全寮制の高校(セカンダリースクール)の数学教師として活動しました。ペタウケは首都ルサカから450キロ東に行ったところにある小さな町です。学校の教員用住宅に住んでおりましたので、ご近所さんは同僚の先生方とその奥様方。ペタウケはマラウイやモザンビーク国境に近く、言葉はチェワ語というマラウイの言葉が主流で、ペタウケ付近ではセンガ族という種族(tribe)が住んでおり、センガ語も多く話されておりました。受け持ちの生徒たちは10年生から12年生、学校には8年生や9年生もおりましたが上級生の影響からか少し大人びた印象がありました。また、全寮制の高校で地域でも高い学力の生徒が選抜されて来ていたり、首都のルサカからも生徒が入寮していたので、生徒たちも選ばれた自覚といいますか、自信に満ちていた印象があります。

今度教える学校であるカリルウェベーシックスクールは中央州のムンブワにあります。ムンブワはルサカから西に130キロ離れた小さな町です。ムンブワは色々な種族に挟まれた地域のため、言語は前回覚えたチェワ語のほかに、トンガ語やロジ語、カオンデ語を話す人が多く、会う人の出身によって挨拶する言語を変える必要があります。町の規模こそ前回勤務していたペタウケとはさほどかわりませんが、今度は1年生から9年生の生徒を擁する学校(Basic School)で働くことになります。

今度の学校はムンブワ郡のモデル校として機能すべき中心ともいえる学校で、学費(PTA費も含む)も近隣の学校より高く設定されているため、地域の中でも高めの所得者層の子供たちが通います。身なりもキレイです。前回働いていた高校では、すべてが教科担任制のためか、男性の同僚が多く、私も飲みニケーションで助けられたものですが、今度は1年生から7年生までの先生方は担任がすべての教科を教えるためか、女性の同僚が多く、飲みニケーションは通用しなさそうです。そのかわり、ほとんどの女性の同僚は子供ももっていらっしゃるお母さんなので、同僚とは井戸端会議的なコミュニケーションのほうがうまくいくことでしょう。

ベーシックスクールは通学制のため、教員用住宅は充実しておらず、またムンブワは極度の住居不足のため、私はモーテルの3部屋を改装したところに住むことになりました。ということは、ご近所さんも子供たちもいないところに住むことになり、家のまわりでお世話になる人はホテルの従業員ということになります。夜になると泊まりの受付嬢と警備員のみになってしまい、子供たちとの交流が楽しみだった私にとっては多少さびしくも感じます。

先日、馬場研の先輩である佐々木さんの活動視察に伺いました。彼女には「Basic Schoolはかなり違うので覚悟したほうがいいですよぉ〜」と教わっていましたが、確かに1年生がおなじ学校で勉強しているのは風景が違います。彼女は「豆男クンと豆子チャンがたくさんいるんですよぉ〜」と表現されていましたが、まさにその通り。私の勤務する学校に視察に行った際、8クラス程度の授業を見学させてもらいました。その中で、2年生のOral Englishのクラスも見学しました。「命令」というテーマで、動詞を教えていました。2年生の生徒が50人くらい、クラスの中で「We are hopping! We are hopping!」といいながら、カエル跳びをしていました。彼らは英語をまだ自在に話せず、普段は現地語を話しているのですが、こうやって英語を習っていくんだなーと思うととても微笑ましく感じました。

私が一番印象的だったのは、月曜日に全校生徒が校長先生の話を聞くミーティングで生徒が歌うザンビア国歌です。高校でも同じような機会が毎週ありましたが、4年ぶりに大勢が歌っている国歌をきいて、多少ウルウルしてしまいました。ベーシックスクールのほうが歌ものびのびしていて、しかも集会は青空の下で行われ、ものすごくザンビアを感じました。

協力隊員は到着後1ヶ月間、現地の事情や言語を学ぶため現地訓練を受けます。現地訓練は先週で完了していますが、私は住む家の契約がまだ終わっていないため、まだ首都ルサカで待機中です。いつ赴任できるのかわからないのもザンビアです。今度は赴任後ムンブワからお届けしたいと思います。


山田 恭子

2008年2月19日火曜日

就職活動(続編)

修士論文も(とりあえずは)提出し、無事(?)最終発表も終え、残る大きな課題は苦戦している就職活動です。

教育系の国際協力の道を志し、現在、4月以降の勤め先を探しています。今日は、某コンサルで面接を受けてきました。志望動機と経歴を含めた自己紹介をしたところ・・・、

「馬場先生のところ?」

「あ、はい。」

前回、大坂で別の面接を受けたときも同じ事を聞かれました。この業界にいる限りは、よくも悪くも「馬場先生の学生」という肩書きはついてまわる事になりそうです。
ということは、

「私の評価=馬場先生の学生の評価」

となるのでしょうね。後輩たちのためにも、頑張らないと・・・
と、身が引き締まる思いです。

辻本 温史

2008年2月18日月曜日

名前とアフリカ

現在、調査のために南アフリカのケープタウンに滞在中。

2月13日、午前10時50分に関西国際空港を出発し、香港、ヨハネスバーグで乗り継ぎ、約30時間かけて、2月14日の午前11時、ようやくケープタウンに到着。その日の天気は雨。肌寒さと、疲れで少し頭痛を感じながら、現在宿泊しているホテルに向かった。 その到着初日の、ホテルのチェックインでのこと。

木根:「チェックインお願いします。」
受付:「どこから来たのですか?」
木根:「日本からです。」
受付:「遠かったでしょう。どれくらいかかりましたか?」
木根:「空港待ちの時間も入れて、30時間くらいですかね。」
受付:「それは大変でしたね。では、お名前を教えてください。」
木根:「木根(キノネ)です。」
受付:「あっ!」
木根:「?」
受付:「あなたがキノネ?」
木根:「はい。」
受付:「チカラ キノネ?」
木根:「はい。」
受付:「いやぁ、あなたが!」
木根:「???」
受付:「イイィッヒッヒッヒッヒィ…」
木根:「どうしました?」
受付:「いやね、日本人の名前や言葉は面白いですよね。」
木根:「???。」
受付:「私はジンバブエ出身なんですが、『タナカ』や『モト』という言葉は、別の意味で私たちも使っているんですよ。」
木根:「はぁ?」
受付:「例えば、タナカは『We are fine!』でしょ。で、モトは『Fire』。」
木根:「???」
受付:「で、『チカラ』もね…。」
木根:「!!!」
受付:「実は特別な意味があって…。」
木根:「…」
受付:「いやぁ、イイィッヒッヒッヒッヒィ…」
木根:「どんな意味ですか?」
受付:「いやぁ、それがね…」
木根:「???」
受付:「イイィッヒッヒッヒッヒィ…」
木根:「???」
受付:「『Dangerous Wild Animal』!イイィッヒッヒッヒッヒィ…」
木根:「???」
受付:「ただのWild Animalじゃないんですよ!Dangerous!イイィッヒッヒッヒッヒィ…」
木根:「???」
受付:「人を襲ったり傷つけたりするような…。例えばライオンとかトラとか、イイィッヒッヒッヒッヒィ…」
木根:「…」
受付:「いやぁ、日本人の名前は面白いですね。イイィッヒッヒッヒッヒィ…」
木根:「…」

青年海外協力隊としてザンビアに2年間滞在していたときも、自分の名前で苦労した。そのときはもっとひどく、私の名前「チカラ(主税)」は、ザンビアの現地語では「男性の一物」という意味であった。

ま、それもある意味「Dangerous Wild Animal」かもしれず、かつて「ローデシア」というひとつの国でもあったジンバブエとザンビア。互いの言葉にも通じるものがあるのかもしれない。 ちなみに、この受付の方にザンビアでの苦労話をしたところ、彼の奥さんが、なんとザンビア人だという!

「イイィッヒッヒッヒッヒィ…」

と笑いながら、彼は私のことを奥さんに話してみると言っていた。 日本では、「主税(チカラ)」という名前は、忠臣蔵の大石内蔵助の息子の名前として知られており、私の将来を想ってこの名前をつけてくれた両親は、まさかアフリカの地にて、自分の息子が、その名前で笑い物にされるとは想像もつかなかったことであろう。

「所変われば品変わる」。

日本語の意味もアフリカでは変わってしまう。日本の常識が通じない、一種のカルチャーショックなどと言えば、少々大げさになるであろうか。 来週は、ここケープタウンを離れ、2年ぶりにザンビアを訪問する。今回も、きっとフルネームでは名乗れないであろう。少々寂しい気もするが…。

蛇足だが、私は、生まれも育ちも九州の「クマモト(熊本)」。これまたスワヒリ語圏では特別な意味を持つ言葉。ケニアを訪問した時に、ナイロビで現地の人から「クマモト」と呼ばれてうれしく感じ、傍らにいたケニア在住の友人から「あんたバカにされてるよ!」と叱られたことを思い出す。

恐るべしアフリカ。次は何が待っていることやら…。


木根 主税

2008年2月11日月曜日

長老のザンビア滞在記 その1 -90%のリスク?-

こんにちは。
馬場ゼミの長老中村です。
先月26日に日本を出発し、現地調査のため2年ぶりにザンビアに来ています。
通信事情が余りよくないのでお約束は出来ませんが、
定期的にこちらの状況をお知らせできればと思っております。

1.90%のリスク?-関西空港にて-
 1月26日西条の我が家を出て一路関西空港へ。
 関連資料は、かなり電子化したので、荷物は少ないはずだったが、親戚、知り合いへのお土産や言付けものがスーツケースの半分以上を占め重量も32キロになっていた。(エコノミーの公式制限は20キロ)
空港のチェックインカウンターでそ知らぬ顔でケースをのせる。
カウンターの担当の人が、
「お客様、ちょっと重いですね。次からお気をつけください。」
といいながら「HEAVY」のタッグをケースにつけてくれた。
ここまでは想定内。

「お客様、当航空会社ではヨハネスまでですので、その先スルーにした場合荷物の紛失について責任をもてませんがよろしいですか?」
これは想定外。
彼女の目配せで上司らしき人が来たので、可能性を尋ねると、
「90%のリスクと考えていただければと思います。」とのこと。

「うーん・・・。」
普通だったらここでヨハネス引き取りに変更するのでしょうが、
荷物の重量規定に非常に厳しいヨハネス空港、
「確実にエクセス取られるなー」と頭の中でそろばんがパチパチ打たれる中、

『虎穴に入らずんば虎児を得ず。』

10%の可能性に賭けることにしました。

さて、長老はルサカ空港で無事荷物と再会することが出来るのか!!
続きは次回までのお楽しみ。

うーん・・・。内田さんのと違って本当に他愛ないなぁー。

それではまたお便りします。


中村 聡

2008年2月4日月曜日

Actions speak louder than words

今、ちょうどザンビアに調査に向かう途中、香港空港での長いトランジット中です。
さて、数時間前、香港に向かう飛行機の中、
「The Japan Times」
という英字新聞を読んでいたら、何やら懐かしい言葉が。。。

“Actions speak louder than words”

行動は言葉以上にものを言う、と訳すのでしょうか。

昔、口ばっかりだった僕に(今もそうだけど・・・)
協力隊の訓練所の外国人教師がよく言った言葉です。

そして今、院生ではありますが、研究する立場の人間となってみると、
研究って、“Action”なのか“Word”なのか、どっちだろうって悩んでしまいます。
もちろん、どちらかに割り切れるものではありませんが、もしかしたら、
“Word”の側面の方が強いのかも。

だとしたら、それが口ばっかりなものではなくって、
いつかは“Action”に結びつかなきゃいけないですよねえ。
どんな言葉も、それが言葉だけのうちは、ただの言葉ですもんねえ。
そんなすぐに結び付けられなくっても、時間をかけて、いっぱい
“Words”を蓄積して、そしてそれがいつか実を結んだら。

そんな思いで、ザンビアに行ってきます!


内田豊海